「ここは心を鬼にして、遺体をおとりにするほかない」
仏をおとりにすることは耐え難い選択だったが、遺族を含め、反対する者はいなかった。そこまで事態は深刻化していたのである。
遺体がD家の居間に並べられた。討伐隊は屋内各所に身を潜め、それぞれが銃を構えた。
考えうる万全の体制をとった。皆が息詰まり、時間だけが過ぎていく。
暗闇の中、ついにヒグマが現れた。緊張が走る。だが、ヒグマは家の周りをうろつくばかりで、中へ入ろうとはしない。討伐隊は狙いを定めるが、一発で仕留める間合いにヒグマが入らない。そうこうしているうちに、ヒグマは屋内の異変を察したのか、再び闇夜へ姿を消してしまった。
その後も討伐隊は交代で銃を構え続けたが、ヒグマは二度と現れることはなかった。
ベテラン猟師によって射殺され
6日間に及んだ惨劇が終結
翌13日も討伐隊の活動は続いたが、ヒグマを捕らえることはできなかった。
だがついに、その時が訪れる。最初の事件発生から6日後、12月14日午前10時だった。7人もの命を奪ったヒグマが射殺された。
射止めたのは、小平(現・留萌管内小平町)鬼鹿の猟師、山本兵吉(58歳)。鉄砲撃ちにかけては天塩国にこの人あり、と評判の猟師であった。
山本は討伐隊と行動を別にし、単独ヒグマを追った。猟師の勘と洞察によるものだった。
ヒグマの居所を見定めていた山の頂上付近まで登ると、ミズナラの大木に寄りかかっていたヒグマを発見した。
山本は風下から気配を消し、少しずつヒグマへと接近して行った。ヒグマに気づかれることはなかった。

そして、ヒグマに近づくことおよそ20m地点。ここでいったん山本はニレの木の陰に身を隠し、銃口をヒグマの急所である心臓に定めた。発砲した。轟音とともに発射された弾がヒグマの背後から心臓付近に命中した。
一度倒れ込んだヒグマだったが、再び立ち上がり、山本をにらみつけた。即座に山本は第二弾を放った。今度はヒグマの頭部を狙った。発砲。被弾したヒグマがついに倒れた。弾は頭部を貫通していた。射殺場所は、A宅から北北西約2km地点であった。
3日間にわたる官民一体による討伐活動は、ここにようやく終結した。編成された討伐隊の人員は延べ600人、同行したアイヌ犬10数頭、装備として用意された鉄砲60丁というものだった。