そんな状況下、24日の午前9時頃から本格的なヒグマ討伐作戦が開始された。銃を持った隊員を軸に編成された7班の部隊が、エリアを分けてそれぞれ山林へと向かった。
午前11時半頃、第1班がヒグマに遭遇する。その際、隊員のIが襲われてしまう。突入地点から1.5kmほど進んだ場所である。Iは絶叫し、その場に倒れ込んだ。
さらにヒグマは、続けざまにJ(57歳)を襲った。頭部を攻撃されたJは、血を吹いて倒れた。ヒグマの攻撃は、それでもとどまることを知らない。次いで、倒れ込んだJのそばにいた隊員にヒグマが猛然と襲いかかってきた。
「ドーン!」という、現役除隊直後の軍人による銃撃が響いた。さらに隊員2人の銃が一斉に火を噴いた。急所に命中し、ヒグマはピクリとも動かなくなった。絶命した。体長193cm、オスの老獣であった。隊員2人が重傷を負ったものの、幸い命に別状はなかった。
これで沼田町を襲った悲劇にようやく終止符が打たれた。

ところが、悲劇はもう1つ発生していた。先に単身森に入ったHの犠牲だった。Hが森に入った日、夜になってもHは戻らず、翌日も行方不明という状態が続いた。
後日、ヒグマが射殺された現場からほど近い沢の奥で、Hの遺体が発見される。頭だけを残した無惨な姿だった。周囲には3つにへし折られた鉄砲が残置されていた。鉄砲の弾が古く不発となったが、Hはヒグマと格闘し、ついに力尽き殺害された。現場の状況から、そう推察された。
なお、本事件を起こしたヒグマは、事件発生の数日前、土中に埋まった斃死馬(野垂れ死になど、突然死にいたったウマ)を喰らっていたという記録が残っている。
また、捕獲されたヒグマの毛皮は、当時幌新小学校に保存された。その後、別の場所への移動を経て、現在は沼田町役場の管理のもと、ほたる学習館に保管されている。
