でもじきに、圧倒的な米軍の逆襲が始まるわけです。悲惨な経験もしたのでしょう。

 ある時、川を渡る最中に流れ着いた戦友の遺体を踏んだそうです。博多弁で言うと、「靴がいぼる(埋まる)ったい、腹の中に」。内臓が腐ってズブッと腹に入るんでしょうね。その悪臭と無残さは、想像を絶するものがあったんだと思います。

 捕虜になってからは、ネギばかり食わされたそうです。過酷な記憶がよみがえるのか、料理にネギが入っているとものすごく怒るわけです。「こんなモノを食わせるな」と、母を怒鳴りつけていました。

「中国の匪賊の奴らを、日本刀で何人か斬った」と自慢することもあった。首を斬り落とす快感を話すおやじが、本当に嫌で嫌で。母ちゃんはおやじの横で静かに首を振っていました。おやじと周囲には、「断層」がありました。

 彼の夢は、大日本帝国の勝利だったんです。敗北によってアメリカの時代がやってきて、それに対する不満と怒りが渦巻いていたんでしょう。おやじの戦後は、皇居前で正座したまま、その姿勢のまま終わっていったんじゃないですかね。

アメリカの将校はマナーがいいと
母はアメリカびいきをした

 ところが、母は進駐軍の将校の家でベビーシッターをして1晩1ドルも稼いでくる。日本円にして360円。当時からすれば大金ですよ。男が10時間肉体労働をやって「ニコヨン」、つまり240円をやっと稼ぐ時代です。

 母のアメリカびいきは相当なものでした。母にとって戦時中の日本軍の思い出は、それはもう不快なものばかりだったようです。「軍部は威張ってばかり。それに比べてアメリカの将校さんはマナーがよくて。負けるはずたい。負けてよかったったい」て。

 次男坊の私もアメリカ大好きでね。戦争ドラマ『コンバット!』ばかり見て、(主人公の)サンダース軍曹に夢中だった。ヨーロッパ戦線の戦いぶりとか、もうワクワクして見ていました。それを見たおやじはイライラした声で「こげんうまくゆくか、バカちんが!」とか「鉄砲の音が1発でも鳴ったら、人間動かなくなるったい」とか吐き捨てていました。