1980年に日本武道館で開いたコンサートに両親を呼びました。集まったお客さんを見たおやじは、「これ、みんなお前ば見に来た人か」と感想を漏らしていました。それから3年ほど後に、病に倒れて死んでいきました。
戦後の華やかな芸能界は
戦争のトラウマから逃れるためにできた
生きている間、おやじとは和解できませんでした。死後、彼の不機嫌の正体がゆっくりと「解けてきた」気がします。
たとえば、戦争を経験した司馬遼太郎(1923~1996年)や阿川弘之(1920~2015年)の作品を読むと、文章の中でおやじとよく似た人にすれ違うような気がするんです。おやじの不機嫌や無念というようなものが、どこか伝わってくる。戦後の日本の中で、言葉では言い表せないトラウマと生きた男たち、おやじと同時代を生きた人たちの言葉から、おやじを探り当てる作業というのかな。
『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』(大久保真紀 後藤遼太、朝日新書)
私が住む芸能の世界の先輩に、吉田正(1921~1998年)という大作曲家がいます。シベリア抑留を体験しました。歌手の三波春夫(1923~2001年)も抑留経験者です。彼らのむやみに明るい歌の中に、何か渦巻く感情を感じるんです。嫌というほどトラウマを抱えた戦争経験者たちが、そのトラウマから己を引き離すためにつくった華やかな世界が戦後日本の芸能界なんじゃないか。私はそんな気がするんです。
心の傷を芸術に昇華できた、そうした人たちの奥に、物も言わず沈んでいった多くの人がいる。そこに、戦争のトラウマを抱えたすべての人の顔が並んでいる気がして、おやじもその1人だと感じた時に、すごく許せる気がしたんですよね。
おやじは確かに問題でした。私はずっと、その問題を抱えて生きてきました。どうしてあげん不機嫌やったとやろか。あげん暴れないかんかったとやろか。その問いを捨てずに持ち続けていると、答えが次々思いつくようになりました。
死んでからの方が、おやじとよく語り合っている気がします。いまは「あんたもつらかったねえ」と言ってあげられる。こんな友だち感覚の言葉をかけたら、おやじ、また不機嫌になるかもしれないけれど。







