もちろん、こんなことを言われても「前提」を共有せず、「勝手に決めつけるな!」と奮起する人もいるでしょう。しかし、素直に前提を共有してしまい、「私はこんな簡単なことすらできないんだ」と思い込む人もいます。

 私は完全に後者で、言われた後は苦手意識だけが募り、さらに失敗をするという悪循環に陥ってしまいました。

相手の人格を否定するのは
「注意」ではなく「嫌味」

 また、たまに「学校のお勉強はできるんだろうに、こんなこともできないんだね」といった、「わざわざ長所を持ち出して貶める」タイプの注意をする人もいますが、これも逆効果だと思います。

 学校の勉強ができることと、何か特定の技能や知識が欠けていることには何の関係もありません。

「失敗した」「うまくできなかった」などといった個々の出来事を、安易に人格と結びつけるタイプの発言にも注意が必要です。

 たとえば誰かの仕事が予定よりも遅れているとき、「急いで」とか「ペースを上げて」などと言うことはできますが、「あなたは仕事が遅い」とか「のろまだ」などと言うのは適切ではありません。

 私も「不器用だね」とか「気が利かない」などとよく言われましたが、突き詰めて考えれば、「作業をするときの手つきがぎこちなかった」とか「一緒に仕事をしている人たちのことをよく見ていなかった」という、個々の具体的な出来事にすぎません。

 それを私の人格と結びつけて「不器用だ」「気が利かない人間だ」と言うのも「決めつけ」にすぎません。

 注意をする際は怒りのあまり、相手の人格を否定したくなることもありますが、それをすると「注意」ではなく「嫌味」になります。

 相手の具体的な行いの欠点を指摘し、改めるように指示することは「注意」ですが、相手の人格を貶めるのは「嫌味」であり、「悪口」です。注意をすることは、相手を見下すことではありません。

 私が思うに、相手を見下すことは、相対的に自分の地位を上げようとする行為、つまり自分の気分を良くするための行為です。