同じく「世界のサカモト」こと坂本龍一も、YMOとしての成功をロンドンで掴んだ。

 彼らの軌跡は、「日本で成功してから世界へ」という優等生的な道筋とは大きく異なる。むしろ、彼らは日本の枠組みに馴染めずに飛び出した「異端児」だったのだ。

 科学の分野でも事情は似ている。ノーベル賞を受賞した日本人物理学者の多くは、アメリカで研究を行っている。日本の官僚的なシステムが才能の芽を潰してしまう例は、少なくないのではないか。

日本には収まりきらない悪ガキが
真のグローバル人材になりえる

 では、どんな人材が結果として「グローバル人材」になり得るのか?

 僕の答えは一貫している。それは「悪ガキ」タイプだ。

 ここでいう「悪ガキ」とは、好奇心と情熱を武器に、自分の殻を破ることを恐れない人間のことだ。

 彼らは、日本の厳しい規則や慣習に馴染めず、むしろその枠の外でこそ力を発揮する。彼らを衝き動かすのは、金銭や地位ではない。挑戦そのもの、そして大きな夢の実現こそが、彼らの原動力になっている。

 これは決して新しい話ではない。明治維新を成し遂げた志士たちこそ、「悪ガキ」の代表例だった。外国船で密航して海外に渡る大胆な行動力――彼らの背中を押したのは、ルールや慣習を打ち破る情熱と、規格外の行動力だった。

 いまの日本にも、こうした「桁外れ」の人物が求められている。

 若い人たちが「グローバルに挑戦したい」と言うと、動機が漠然としていたり、ありふれていることがある。だが、僕はそんな動機がどんなに陳腐に聞こえようとも、決して否定しない。むしろ、その一歩を踏み出す勇気を心から応援したいと思っている。

 なぜなら、グローバルに飛び出すうえで重要なのは、動機の純粋さや高尚さではなく、情熱と行動力だからだ。

 グローバル人材を育てるとは、規則や慣習にとらわれない「悪ガキ」のような若者の特性を理解し、彼らの挑戦を後押しすることにほかならない。

 いまの日本に必要なのは、「当たり前」の枠を超えた、常識に収まらない人材なのだ。