映画のなかで、1945(昭和20年)年8月6日、広島へ最初の原爆を投下することを決めた米政府首脳と米軍幹部が、交わす会話が生々しく、強く印象に残る。
マット・デイモン演じるマンハッタン計画の責任者の米陸軍将校、レズリー・グローヴスたちは、こう語る。
「絶対に原爆投下の日時を日本に知られてはならない。なぜなら知れば彼らはこれを阻止するために、死に物狂いで原爆を搭載したB-29(「エノラ・ゲイ」)を迎撃しようとするだろう」と。
米軍は、マンハッタン計画実行において、原爆投下の候補地を選定する際、山口・下関の基地に配備されていた「屠龍」部隊を最も警戒していたといわれている。
米首脳やオッペンハイマーたちが恐れる通り、「屠龍」の操縦士たちは、死に物狂いになって憎き龍(「エノラ・ゲイ」と名付けられたB-29)を屠るため、日本人の命を護るために己の命を差し出して襲いかかっただろう……。
八幡製鉄所のある北九州を
火の海に沈めるはずだったが…
米は極秘裏に8月6日午前8時15分、B-29「エノラ・ゲイ」に搭載したウラン原爆「リトルボーイ」を広島へ投下。そして、その3日後の8月9日午前11時2分、B-29「ボックスカー」に搭載したプルトニウム原爆「ファットマン」を長崎へ投下する。
実はこの2発目の原爆は当初、小倉(現在の北九州市小倉北区、小倉南区)に投下する計画だったといわれている。
ノンフィクション『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(藤永茂著、ちくま学芸文庫)のなかに、こんな記述が出てくる。
《一九四五年四月、グローヴスの下に標的委員会なるものができた。原爆投下の標的となる日本の都市の適否を検討し答申するのが仕事だった。(中略)標的委員会が選んだ都市は、京都、広島、小倉、新潟だった》
標的候補の最初に選ばれた広島は、呉海軍工廠をはじめとする日本海軍の拠点施設がひしめいていた。
片や次の標的候補として挙げられていた小倉(=北九州)は、八幡製鉄所をはじめ大規模な造船所など日本を代表する重工業地帯の拠点のひとつだった。







