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かつて「戦争はハイテク化し、人が死なない時代になる」と言われていた。ボタン1つで標的を狙い、コンピューターがピンポイントで爆撃する。そんな未来を信じてきたが、ウクライナ戦争が見せつけたのはその正反対の様相だった。ドローンが戦争にもたらした皮肉な現実を、軍事評論家の2人が指摘する。※本稿は、小泉 悠、黒井文太郎『国際情勢を読み解く技術』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。
どんなに革新的な兵器でも
戦局を変えるだけの力はない
黒井文太郎(以下、黒井):戦局をどう見るかですが、双方の火力に注目するというのがまず基本になります。双方、それぞれの戦線における火力がどうか、ですね。
報道では新しい武器に注目が集まりますが、問題は、数がどうかです。そこがなかなか説明が難しい。新たな武器が供与されると、メディアはどうしても、それがゲームチェンジャーになるかどうかという話が好きです。戦局を見る際、そういった側面も必要ですが、火力の現状を見ることも重要です。
小泉悠(以下、小泉):この戦争で何か新しい兵器が配備されるという時、そのたびに「これはゲームチェンジャーですか?」と聞かれました。ゲームチェンジャーというのはあるのですが、私の考えでは、それは特定の兵器システムということではない「能力」なのだと思います。
能力というのは、たとえばロシア軍の陣地帯を突っ切って突進していく能力であるとか、敵の後方深くを大規模に叩く能力であるとか、そういう能力のことをゲームチェンジャーというのであって、あるミサイルとかあるドローンがそれだけでゲームチェンジャーになるわけではないと思うのです。兵器システムはあくまでもその能力構成の一部であるということです。







