
「ちょうだいいたします」
そうじゃない。家族みんなのためだとトキは言うが……。
フミの心情はなんとも根深い。
三之丞は自分の力でなんとかすると言うが、トキは彼にまかせてはおけない。
「物乞いだよ」と声を荒げる。
このまま物乞いをし続けて、冬が来たら、生きてはいられない。プライドばかり先行して、現実的な判断がいっさいできないタエと三之丞に、トキはいら立ちが止まらない。
「自分を捨てたの。自分を捨てて家族のために洋妾になろうとしたの。おばさまを救いたいなら自分を捨てて働いて」
自分の力でなんとかすると言ったってどうせ何もできないのはわかり切っている。観念してお金をもらってくれとトキは三之丞に迫る。
ここからがおなじみ『ばけばけ』劇場のはじまりだ。
「もらうの もらわんのどっちかね」
「もらわんのゆるさんけん」
トキとフミがぐいぐい迫り、その勢いに、三之丞は気おされて「も、もらいます」と言ってしまう。
フミ「ちょうだいいたしますでしょ」
三之丞「ちょうだいいたします」
トキもフミもこわい。三之丞は「ちょうだいいたします」のあとに「ありがとう」と礼を言うのが育ちの良さの現れであろう。
食い詰めた人たちにお金を工面したことをお涙ちょうだい的に描かず、無理強いのように描く。貧しさもいくとこまでいったらお涙ちょうだいになんかならない。がむしゃらに生きていかなければならない、そんな状況がひしひしと伝わってくる。落ちた人間ののっぴきなさに迫りながら、笑いで見やすくしているのは、ふじきみつ彦のちからである。
脚本とは何か。脚本は土台であるという言葉がある。それを聞くと、ストーリーを進めるためのもののように思いがちではあるが、あらすじを記したものが脚本ではない。セリフであらすじを語るのではなく、セリフのなかに人間が、その人間が生きている世界が映されていなくてはいけない。
ふじきみつ彦のセリフには、社会と人間が見えてくる。







