僕らの気持ちが済まないから
「お別れ会をやらせてください」と
山田 そう、家族だけのお別れが終わってから、僕は夜に電話を受けた。驚きました。まさか亡くなったとは思わないものですから。夜10時ごろでしたね。奥さんとお話しするのはその時が初めてでした。
黒柳 そうでしょう。
山田 「じゃあ、すぐに行かせてください」と言ったものの、うちがどこにあるかわからないんだ。だいたいの場所はわかっていたんだけどね。松竹の宣伝部に一人だけ、一度お宅にお使いに行った人間がいたから、夜中に呼び出して案内してもらいました。
黒柳 私も、亡くなってからはじめてお宅に行きましたね。
山田 奥さんやお子さんたちもいらしてね。もうすべて終わったと言うんだけど、僕の気持ちなんかも伝えてね。どうしても僕らの気持ちが済まないから、お別れ会をやらせてくださいと奥さんにお願いました。それで、大船の撮影所でお別れの会をやったわけです。
『男はつらいよ』の第48作を公開してから、もう1年以上経っているし、どれくらい人が来るかもわからなかった。献花の菊の花を3000本にしようかと話していたら、葬儀屋が「いや、1万本は必要ですよ」と言うんですね。
黒柳 はい、はい。
3万数千人が長蛇の行列に
全部終わってからスタッフ全員で泣いた
山田 僕にはうまく想像ができませんでした。そんなに来るのかなあと。結局、予算もすぐには都合がつかないから、5000本を用意してもらった。実際は3万数千人、8月13日の暑い日に、大船の駅から長蛇の行列になってしまいました。
黒柳 そうでしたね。
山田 大変でしたよ。スタッフ総出で一般の方の案内もしなくちゃいけない。僕らはボロボロになっちゃってね。全部終わってから、『男はつらいよ』のスタッフ50人ぐらいで、みんなで献花をしました。
手を合わせて、「渥美清さん、さようなら」と言った時、流石に全員で泣きました。大の男たちもね、声をあげて泣きました。それは、なんというのかな。もちろん渥美さんがいなくなって寂しい。それと同時に、もう渥美さんと一緒に『男はつらいよ』を作ることはできないんだという寂しさでもありました。
黒柳 渥美さんは世間に病気を隠して、最後の最後まで元気に、見事に寅さんをやりきりましたね。3万人なんていう人たちが集まったんですから。
山田 誰かが言っていたんだけどね、車寅次郎という像がそこにある。渥美清さんという人はその中からちょっと抜けて出ていったけれど、ハリボテの方はちゃんと残っていて、いつまでも映画として観客を楽しませ続けるんだ――と。たしかにそんな感じがしますね。







