別の医療チームの友人が
必死の手当の末、亡くなる
見晴らしの良い丘の上で倒木を見つけた私は、そこに座ってソフィアに話を聞くことにした。
2022年3月、ロシア軍の侵攻直後にキーウの病院で英語の通訳としてボランティアを始めた時、まだ16歳だったソフィアは救急救命士になる為のコースを受講した。
「高校卒業後、大学に入って今も在籍しています。戦争前は学校に通いながら写真家としての仕事ももらっていて、とても充実した生活でした。でも、ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって、私が住むキーウも危うく占領されるところでした。ウクライナ軍に入って戦うか、ロシアに占領されるかの2つに1つしかないので、私は最前線に行くことを選びました」
当初は軍に入隊して、最前線で負傷した兵士を担いで後方搬送するコンバット・メディックを志望していたというが、ボグダンから「ここにあるジャガイモが入った20kgの袋を担いで500m先まで走ってみてごらん。もし運べないようならお前には無理だ」と言われ、断念した。
アーニャもまた前線の後ろで待機して負傷兵を病院に送る任務をしていたので、母と同じだ。
ソフィアが活動するリマンは他の東部の前線と同じで戦況が悪化していて、この1カ月だけでも4回メディックの待機所を変えている。戦場で特に脅威となるFPVドローンはメディックの車両を優先的に狙う。メディックを失ってしまうと、前線で生命の危険と隣り合わせで戦う兵士の士気に大きな影響を与えるからだ。ジュネーブ条約では医療従事者への攻撃は禁止されているが、ロシア軍はお構いなしに狙ってくる。爆弾を抱いて高速で飛行するFPVドローンに対しては有効な対抗策がない。
「今までで一番辛かったのは、別の医療チームにいた友人が亡くなって、その遺体を運んだ時です。私たちが駆け付けた時、彼女は瀕死の状態でした。必死に手当てをしたのですが、残念ながら亡くなってしまったのです」







