「ウクライナとロシアの戦争は2014年に始まりましたが、当時、ほとんどの人が戦争という認識がありませんでした。私がいたキーウの軍病院に戦場で負傷した兵士が次々搬送されてくるのですが、大勢の負傷者を受け入れる準備をしていなかったのです。それまで銃や砲弾で負傷した重傷者を見たことがなかったので、私はショックを受けると同時に、戦闘が起きている東部がどうなっているのか興味も湧いてきました」

 戦闘が激化し、危機意識が目覚めた市民たちは戦闘に必要な物資、医療品を届けるボランティア活動を開始する。友人が東部で活動していたこともあり、アーニャは両親に相談をせずに前線へ行こうと決めた。

「前線に行きたいという想いを、両親はおそらくわかっていたと思います。反対はされませんでした。はじめのうちは軍が必要とする医療品を届けていましたが、戦場の現実を目のあたりにし、軍の医療コースを受講して救急隊員として負傷した兵士の搬送をするようになりました」

 アーニャが目にした2014年のドネツクは、戦闘の前線が曖昧なグレーゾーンだった。ロシアの工作員が暗躍しており、現地の住民は偽情報に惑わされて何を信じて良いか判断できず、ウクライナを支持する住民が多くなかったことにアーニャは困惑したという。

 アーニャがボグダンと出会ったのはこの年の冬、激戦地のドネツク空港だった。交際を始めた2人は19年に結婚し、アーニャは専業主婦として幸せな生活を送っていた。しかし、22年2月にロシア軍のウクライナ侵攻が勃発すると、彼女はウクライナ軍に入隊した。現在は私が4月に従軍したドローン部隊の第411独立UAV大隊に配属され、広報としてメディア対応を担い、前線に赴いて兵士たちの活動を紹介している。

平穏に暮らしたいけれど
戦争が俺たちの日常なんだ

 二人の間には18歳のソフィア、14歳のズラータ、そして5歳のゾリアナという3人の娘がいる。

 上の二人はアーニャの前の夫との娘だが、ボグダンは“俺の娘たち”と言って3人に愛情を注いでいる。アーニャが仕事に行く時は、幼いゾリアナは近所に住む両親に預かってもらう。