人類の歴史は、地球規模の支配を築いた壮大な成功の物語のようにも見える。しかし、その成功の裏で、ホモ・サピエンスはずっと「借りものの時間」を生きてきた。何千年も続いた栄光は、今や終わりが近づいている。なぜそうなったのか?『ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史』は、人類の繁栄の歴史を振り返りながら、絶滅の可能性、その理由と運命を避けるための希望についても語っている。今回、訳者でありサイエンス作家の竹内薫氏にインタビューを実施。人類の中でホモ・サピエンスだけが生き残った理由と、ネアンデルタール人の絶滅から得られる教訓について聞いた。(取材、構成/小川晶子)

「なぜ人類の中でホモ・サピエンスだけが生き残ったのか?」。他の人類との決定的な違いと「ネアンデルタール人の絶滅から得られる教訓」とは画像はイメージです Photo: Adobe Stock

ホモ・サピエンスだけが生き残った理由

――『人類帝国衰亡史』には、かつて地球上にはさまざまな人類が存在していたことが書かれていました。「ドラゴンマン」の名で知られるホモ・ロンギや、過酷な環境で進化したと思われるデニソワ人、東南アジアの島々にいたホビットのような人類、ホモ・ルゾネンシスやホモ・フロレシエンシス……。その中で我々ホモ・サピエンスはどういう人類なのでしょうか。

竹内薫氏(以下、竹内):ホモ・サピエンスだけが生き残っていますから、他の絶滅した人類とは違う何かがあるはずです。私は言語と文化が大きいと考えています。他の人類は基本的に小さな集団で生活をしており、人数が少なければどうしても絶滅を免れません。

 近親交配の遺伝的リスクに加えて、洪水や干ばつ、飢饉など偶発的な出来事によって集団がまるごとやられてしまう場合もあるからです。ところがホモ・サピエンスは言葉を使ったコミュニケーションを取ることができた。仲間同士で情報を共有したり作戦を立てたりすることによって、生き延びてきたのでしょう。

 文法が精緻に発達していることを含めて、文化が他の人類と違ったんだと思います。芸術や文化は「付け足し」のように考えられがちですが、本当は人類の本質なんですよ。

 食べること、お金を稼ぐことが一番大事であるわけじゃないんです。経済合理性ばかり言って芸術や文化を軽視するのはどうかと思いますね。ホモ・サピエンスが生き延びた根本的な理由は、文化にあるのですから。

ネアンデルタール人とどこが違ったのか?

――ネアンデルタール人は体格が良く、脳も大きかったと言われていますが、やはりコミュニケーションがホモ・サピエンスとは違ったのでしょうか。

竹内:そうだと思います。ネアンデルタール人はホモ・サピエンスと比べて集落の規模が小さく、集落同士の距離が離れていたのだと考えられています。この暮らし方も文化の一つですよね。どういうコミュニケーションを取っていて、どんな文化を持っていたかによって、絶滅するか生き残るかが分かれたのです。

――ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスがヨーロッパに進出する前にすでに定着し、適応した暮らしをしていました。それが絶滅してしまい、少なくとも4万年前には地球上の人類はホモ・サピエンスしかいなくなってしまいました。我々にもっとも近い人類であるネアンデルタール人の絶滅から得られる教訓はあるのでしょうか。

竹内:ネアンデルタール人が絶滅した理由は、はっきりわかっているわけではありません。昔は、ホモ・サピエンスとの戦いに負けて絶滅したのだという仮説が有力だと思われていましたが、今はちょっと違う見方になっています。

 ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が結婚して子どもを産んできたこともわかったからです。我々にもネアンデルタール人のDNAが受け継がれているのです。もちろん衝突もあったでしょう。

 ただ、戦いでというよりは、もともと人数が少なく、常に絶滅の危機にさらされているネアンデルタール人の集落がホモ・サピエンスの集落に吸収されるようなかたちで、絶滅してしまったのではないでしょうか。

――やはり集団の人数が少ないことがいかに脆弱かということですね。

■ハプスブルク家の悲劇

――小さな集団の遺伝的リスクといえば、本書には近親交配のよく知られた例としてハプスブルク家が挙げられていました。

竹内:ハプスブルク家は領地や権力を一族内にとどめるために近親同士の結婚を繰り返していました。特殊な家系ではそういうことが起きるのです。

 1517年から1700年までスペイン王位を担っていたハプスブルク家の一族はもっとも極端な近親交配を行っており、最後のスペイン・ハプスブルク王となったカルロス二世は「呪われた者」と呼ばれました。多くの病気や障害を抱えていたからです。体は小さく、ひ弱で痩せていたが、頭は異様に大きかったと……。

 これは一つの家系における悲劇ですが、ネアンデルタール人の集落でも同じようなことが起きていたのだろうと推察できます。遺伝的リスクの話は人類の絶滅にも関連しています。

 遺伝的多様性が非常に少ない我々は、実はその絶滅の危機からそれほど遠くないところにいるんですよね。本書を読むとそれがよくわかると思います。

■架空のイメージを形成できる脳

――最近読んだ『幽霊の脳科学』(ハヤカワ新書)の中に、5~6万年前にホモ・サピエンスの脳は高度な認知機能を獲得して「幽霊」を見るようになったのではないかといったことが書かれていました。脳科学の観点から、ネアンデルタール人と比べて我々は脳内に架空のイメージを形成しやすくなっているという話なのですが。

竹内:イマジネーションは未来を予測する際にとても大切です。我々は未来がどうなるかをよく考えるじゃないですか。1年後自分はどうなっているんだろう。1週間後は? と考えて備えていますよね。

 未来の予測ができなかったら、いきなり大変な出来事が起きて対処できずに死んで終わりかもしれない。想像力、イメージ力もホモ・サピエンスが生き延びることができた大きな要因の一つでしょうね。

(本原稿は、ヘンリー・ジー著ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史〈竹内薫訳〉に関連した書き下ろしです)