内容の責任は著者にありますが、その著者の刊行物を出すという責任は出版人が負う。

 もちろん、この責任は現場の一編集者ではなく、編集長、発行人をさす。

 たとえ(岩波のように)詳読できていなくても、その著者の本を出すことを決めた時点で、「著者とともにある」という態度であることへの覚悟はできていなければいけない。

 これが出版人というもの。

 このように捉えると、絶対にAIができる仕事ではないことがわかります。

出版業界において
AIが人間に勝てないこと

 執筆、編集、デザイン……あらゆるクリエイティブがAIに取って代わられるのではないか。このように言われて、もう久しいです。出版という森が、AIという外来種の出現によって、駆逐されるかもしれない。こうした不安が当事者たちにまったくないと言えば嘘になるでしょう。

 読書であれ、市場の動向であれ、データ収集と処理においては、AIのほうが人間より断然優れている。

 実際、どんどんAIが果たす役割が増えていくでしょう。そして、それがいいことだと私は思っています。

 というのも、人間が出版という仕事で果たさないといけない役割がその分、はっきりしてきていると考えるからです。

 どういうことか?

 出版という仕事に伴うさまざまな作業のなかから、AIでもできる作業をひとつずつ取り除いていきましょう。そうしたとき、最後に残るものは何か?そのひとつに、この「著者とともにある」がある。

 私はこのように考えます。

書影『出版という仕事』(三島邦弘 ちくまプリマー新書、筑摩書房)『出版という仕事』(三島邦弘 ちくまプリマー新書、筑摩書房)

 情報をとりこみ処理する。検索をする。現在のマーケットの傾向から、マジョリティーが感動する企画をつくる。マジョリティーが胸を打つ表現を採用する。こうしたことはAIの得意と言えます。人々を感動させるという「結果」も導くことさえ、可能でしょう。

 が、書き手との共同作業のなかで、未知なる原稿に挑む著者と「ともにある」。これは生身の人間でないとできません。

 おもしろマグマを注入することもまた生身の編集者でないとできない。

 他には?

 ぜひ、皆さんも考えてみてください。

 AIが「ふつう」になる時代において、編集者の役割がかえってはっきりしてきていると思えてなりません。