夏目漱石旧居跡(猫の家)Photo:PIXTA

大正3年、岩波書店から刊行された夏目漱石の『こころ』。この1冊の背景には、文豪と出版創業者の情熱が交錯していた。装丁まで自ら手がけた漱石と、出版社を志した岩波茂雄。名作誕生の裏側にあった2人のやりとりは、いまなお“出版の原点”を教えてくれる。※本稿は、編集者の三島邦弘『出版という仕事』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

夏目漱石に舞い込んだ
大胆すぎる仕事依頼

 世紀を超えて読み継がれる文豪・夏目漱石と、岩波書店創業者の岩波茂雄。岩波茂雄の依頼は、なかなかユニークです。

 時代は1913年、大正2年。

 当時、岩波茂雄は神保町で古本屋を営んでいました。岩波書店は当初、本屋さんだったわけですね。その書店を開店してまもなく知人から原稿をもちこまれ、いわゆる自費出版を2冊手掛けます。岩波は、本を2冊だしてみて、まんざらでもないと思ったのでしょう。この経験をきっかけに、出版社をめざすことにします。

「せっかくやるのだから、当代随一の作家にたのもう」

 こう考えた岩波茂雄は、『坊っちゃん』『吾輩は猫である』などですでに国民作家となっていた夏目漱石のもとを訪ねます。そして、大胆な依頼をします。

「先生、いま朝日新聞で連載の『こころ』。あれを私のところで出したいのですが」

 しかも、資金がないので、費用は漱石に出してほしいと言います。

 これに対し、文豪は、「よかろう」とまさかの返答。

 なんと。まだ商業出版で1冊も出したことのない出版社に、新聞連載の原稿を渡すと確約したのです。漱石の太っ腹と茂雄の腹の据わり具合、いずれも爽快で見事というほかありません。