「腐敗を一掃して中国を強くする」
習主席の期待を裏切った現実

 2012年に政権を握った習近平は、反腐敗キャンペーンを最重要課題に掲げた。彼は、腐敗こそが中国の最大の病であり、それを一掃すれば党は健全になり、国家は強くなると信じていた。

 また、中国共産党の腐敗体質に不満を持っていた多くの中国人民は、習主席のこの考えに共鳴して、熱狂的に歓迎した。

 この時期、習主席は経済政策に精通した李克強氏を重用し、経済改革と制度整備を進める姿勢を見せていた。当初、政治は習、経済は李というすみ分けがされていた。
反腐敗運動は、党内の規律を正し、権力の透明性を高めるための「改革」として位置づけられていたのである。

 ところが、現実は習主席の期待を裏切った。粛正を重ねても腐敗は止まらず、むしろ摘発のたびに新たな不正が雨後の竹の子のように露呈した。しかも、信頼していた側近ネットワークまでもが腐敗に染まるに至って、習主席はそれまでの方針を大きく切り替えるに至る。

「側近中の側近」を
粛清する異常事態

 10月に北京で開催された4中全会は、前述の通り、中央委員資格を持つ軍幹部やOB42人のうち、実に6割超にあたる27人が欠席した。うち8人はすでに「重大な規律違反」を理由に党籍と軍籍を剥奪(はくだつ)されていた元軍人であり、その中には中央軍事委員会副主席まで含まれていた。

 注目されたのは、「福建閥」と呼ばれてきた一群の軍人の扱いだった。彼らは福建省アモイ市に拠点を置いていた旧第31集団軍の出身者で、台湾方面を管轄する東部戦区やその前身の旧南京軍区に長く勤務し、習主席の信頼を得て出世してきた人々である。

 福建閥は習近平の福建勤務時代からの人脈であり、中央軍事委副主席や委員にまで登りつめた「側近中の側近」であった。習主席は彼らを軍の要職に送り込むことで、腐敗体質の軍を改革しようとしたが、相次いで汚職が見つかり、党籍剥奪や失脚に追い込んでいった。

 4中全会の直前、中国国防省はこうした軍高官を含む計9人の党籍剥奪を発表している。表向きは「軍が自ら腐敗を一掃する自浄能力を示した」と説明されたが、実態は福建閥の汚職追及の過程で、関係者が芋づる式に摘発されていったと考えられる。

 軍を改革するどころか、習主席という強大な後ろ盾をもつことで、福建閥全体が軍内部で汚職にまみれていったわけである。

 こうした中、11月5日に南シナ海沿岸の海南省・三亜で行われた中国軍3隻目の空母「福建」の就役式典の光景は象徴的だった。

 習近平が中央に立つ記念写真には、本来そこにいるべき2人の司令官である空母を運用する南部戦区のトップと、中国海軍トップの姿がなかった。両者とも4中全会を欠席しており、汚職捜査の渦中にあるとみられている。

 また、福建閥ではないようだが、核兵器やミサイルを扱うロケット軍でも、習主席肝いりで2015年に創設して以来、トップが4代連続で汚職などにより失脚している。習主席は2024年10月、安徽省のロケット軍拠点を視察し、規律徹底を強く訴えたが、その後任司令官にも汚職が発覚し、再び粛清に踏み切った。

 こうした一連の粛清の結果、7人体制で発足した中央軍事委員会は、副主席や国防相の失脚によって4人に縮小。4中全会では欠員を補充せず、少人数体制のまま据え置かれた。

 習主席は最も信頼していた福建閥に裏切られることで、「自分以外、誰も信じられない」という状態に陥っていったと考えられる。