では、儒教を最初にとなえた孔子は、なぜ「過去のほうがいまよりすぐれていた」という思想をもつに至ったのでしょう。
孔子がこのような思想に至ったのは、やはりかれの生きた「時代」というものが強く影響していたと思われます。孔子が生きた前6世紀ごろの中国は、混迷の時代です。
乱れた世の中で、孔子は昔の書物を集め読み、その結果、現在を「堕落した世界」と見なしたのでしょう。だからこそ、「かつてすばらしい時代があったんだ」ということを希望として人々に伝えようとしたのだと思います。
そういう意味では、孔子というのは理想社会をつくった人ではなく、過去にあった理想社会の復興をめざして、後世にその「理想」を伝えようとした人だといえます。
変化を嫌う儒教において
改善は悪とみなされる
儒教の教典ともいうべき「経」は、孔子がオリジナルで書いたものではなく、当時まだ残っていた古い時代の記録を孔子が編纂しなおしたものとされています。
これを孔子は、「述べて作らず」といっています。いままでのものを伸ばしていくだけで、新たなものを作らない、ということです。
ですから儒教では、新しいものを作るとか、昔あったものを変えるというのは、孔子の考え方に背く「悪」であると考えます。新しいものによいものはないのです。
西洋の思想に染まっている日本人は、「改革」と聞くと、無意識のうちに「改正」「改良」や「改善」をイメージし、改革したほうがよくなると考えます。しかし、儒教では「改革」は「改悪」にほかなりません。
儒教では、変えることは「悪」なのです。よりよくするとは昔に戻すことなので、われわれの考える「改善」は、改革とはいわずに必ず「復古」という言葉を用います。
たとえば、北宋時代の政治家・王安石(1021~86)が行った改革を、歴史の授業で「王安石の新法」という言葉で習いますが、王安石自身は経典の『周礼』を根拠にして、「新しいこと」をするとは、ひと言もいっていません。
『教養としての「中国史」の読み方』(岡本隆司、PHP研究所)
中国では、漢語に儒教の価値観が染み込んでいるので、何かをよりよく変えようと思ったら、「昔に返ります」といわなければ、人々に受け入れてもらえないからです。
ですから実施にあたっては必ず、昔にこういう事例があった、ということを探し出しますし、文書をつくるときにも必ず、権威ある経典からその事例を引用し、これは「復古」なのだと示さなければならないのです。
いかに堕落を食い止めるかというだけで、進歩の側面を描こうとしないので、中国の歴史はくりかえしに見えることが多いのです。
でも、それを「進歩が存在しない」「停滞している」と蔑むのは、西洋の思想に毒されたわれわれの傲慢です。かれらはもともと進歩などに関心がないし、まためざしてもいないのです。







