「ビストロ・サカナザ」の頃の僕はやたらとんがっていたと思う。
ムッシュ・シャペルに「セ・パ・ラフィネ」と言われたことで、もうこれまでのようなフランス料理は作らないと決めていた。
僕が作りたいのは、日本人である自分の味覚と創造力を生かした自分にしか作れない料理だ。とはいえ、料理人としての僕の技術はフランスで鍛えられたわけだから、作るのはあくまでもフランス料理である。
つまり「日本人としてのオリジナルのフランス料理」を試行錯誤して見つけなくてはならない。
“厨房のモーツァルト”にならい
独創的な料理に挑み続ける
あの頃は僕自身の実績も乏しく、周囲から試される時期でもあった。だから毎日挑戦的な料理を「どうだ、すごいだろっ」とばかりに作り続けるしかなかった。
とんがっていた理由はもうひとつある。
大使館の料理人時代から4年にわたって師事した天才料理人、フレディ・ジラルデの「スポンタネ」スタイルで勝負したいと考えていたのだ。
スポンタネとは、「ありのまま」「即興」「自発的」といった意味を表すフランス語だ。空気のようなものを瞬時につかみ、形なきものに形を与える――これが僕のイメージするジラルデのスポンタネだった。
ムッシュ・ジラルデは、“厨房のモーツァルト”と呼ばれ、その旺盛な創造力で毎日新しい料理を生み出していた。
試作はいっさいしない。初めて作る料理だから当然ながらレシピもない。客の注文を受けてから、その日に届いた新鮮な素材を自由奔放に組み合わせ、ものすごい集中力で「スポンタネ」でメニューを決めていく。
どんな料理になるかは彼自身もわからない。なぜなら、たとえばオマール海老ひとつをとっても、今朝入荷したものと、昨日入荷したものとは状態が異なるから。素材を生かしきるために、状態を見て、その場で料理の内容を変えることはもちろん、作り方も盛りつけも変えていく。
素材を前に仁王立ちになり、「ほしい材料がない!」とわめき散らす、「そうじゃない」と、顔を真っ赤にして鍋ごとひっくり返す。彼はたいてい苛立っていた。オレは命を懸けているんだ、と、その眼はいつも言っていた。







