家なし、貯金ゼロ。独立を目指していた若き三國シェフが、「理想の洋館」に出会った時にとった驚きの行動とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

日本屈指のフランス料理シェフ・三國清三(みくに・きよみ)。20歳の若さでスイスの日本大使館の料理人に抜擢され、8年間のヨーロッパ修行から帰国後、ビストロで日本人としてのオリジナルフランス料理に挑んだ。三國の独創的な料理は評判となりたちまち人気店になったのだが、若気の至りで店を飛び出し……。東京・四ッ谷の伝説の名店「オテル・ドゥ・ミクニ」誕生までの物語を明かす。※本稿は、シェフの三國清三『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。

「ビストロ・サカナザ」の
とんがった雇われシェフ

 帰国から4か月目の1983年3月、東京・市ヶ谷に「ビストロ・サカナザ」がオープンし、僕はこの店の雇われシェフになった。

 じつは帰国の数年前から、「三つ星店を渡り歩く日本人シェフ」といった切り口で、料理の専門誌などで紹介されることが増えていた。そんな僕に興味をもち、スカウトするためにわざわざパリまで来てくれたのが、「ビストロ・サカナザ」のオーナーだった。

 ムッシュ・シャペル(編集部注/三國が師事した“厨房のダ・ヴィンチ”の異名をもつシェフ、アラン・シャペル。カリスマ性の高い完璧主義者)に、「セ・パ・ラフィネ」(洗練されていない)と言われて大きな挫折感を抱え、自分が本当に作りたい料理ってなんだろうと自問していた僕は、「東京でビストロをやって、フランス料理を広めたい。料理は三國さんがやりたいようにやってくれていい」というオーナーの言葉におおいに心が動いた。

 そんな経緯もあって、帰国後こちらからオーナーに連絡を入れたら、すぐにやろうということに。稼いだお金は自己投資に使い果たし所持金はほとんどゼロのうえ、住むところもない僕に、腕をふるう店ばかりかマンションまで用意してくれるという。本当にありがたい誘いだった。