国会議事堂写真はイメージです Photo:PIXTA

かつては想像しがたかった“極端な言葉”や“過激な主張”が、新政党の台頭とともに選挙結果を左右するほどの影響力を持つようになった。SNSでは共感が瞬時に連鎖し、発信力や攻撃性ばかりが注目を集める時代である。こうした空気の変化は、いま政治にどのような影響を与えているのか。井手英策・慶応大学教授は、この流れの奥底に“危うい兆し”が潜んでいると警鐘を鳴らす。※本稿は、財政学者の井手英策『令和ファシズム論――極端へと逃走するこの国で』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

選挙結果に表れた
極端への逃走

 旧民主党勢力は、分裂以降、国政選挙での連敗がつづいたが、皮肉なことに、政策のすりあわせが十分になされず、野党共闘が後退した2024年衆議院議員選挙以降、大きく議席数をのばすこととなった。同時に、れいわ新選組や参政党といった左右の極もまた、存在感をましつつある。

 ここで注意をうながしておきたいことがふたつある。

 まず、左右の極の伸長と書いたが、右と左の両方にウイングがひろがったのではなく、左右の軸でははかりえない、非連続的で、質的な「跳躍」が政策レベルでおきたことである。

 これは、私が〈極端への逃走〉と位置づけている現象であり、「悪しき極端の束」こそが、歴史的にファシズムとよばれてきたものにほかならない(※編集部注/ここでの「極端」とは、右翼/左翼といった従来の対立ではなく、SNSなどで共感が連鎖する中で、政策や議論が突発的に過激化していく現象を指す)。

 もう一点は、以上の思想的変化と同時に、2024年におこなわれた東京都知事選挙や兵庫県知事選挙、あるいは25年の東京都議会議員選挙で顕著にしめされたように、SNS戦略が絶大な効果を発揮し、選挙手法が劇的にかわりつつある点である。事前の予想をうらぎる選挙結果がもたらされるばかりか、SNS利用者の攻撃性から、人命がうばわれる事態すらおこりはじめている。