そのうえで、中国の「気」の理論ではなく、西欧の機械論的自然観を取り込み、西欧の地動説や天文学を取り入れていった。この日本の科学技術受容の過程には、目を見張るものがある。

近代日本の発展プロセスは
途上国の参考にならない

 それでは、日本の18、19世紀の歴史、江戸幕府の崩壊から明治維新、そして、2つの大戦を経ての戦後日本の経済的復興という歴史は、現在のいわゆる「途上国」が、これから新たな社会を築いていくうえで、何かの参考になるのだろうか?

 しばらく振りにタンザニアを訪れた私は、もうそんな時代ではないと感じた。

 大きな理由は、現在の世界が直面する地球規模の問題だ。それは、主に西欧近代文明が築いてきた、大量生産、大量消費、大量廃棄によって成り立っている経済システムが、地球規模で生態系の破壊をもたらしているという事実による。

 第二次世界大戦後の社会では、資源が枯渇するという認識はなかったし、地球全体としての生態系のバランスが崩れるという認識もなかった。だから、大量生産、大量消費、大量廃棄のシステムをうまく回すことを学べばよかったのだ。

 しかし、1970年代以降、公害の問題から始まり、地球のバランスが崩れるという事実はいくつも指摘されてきた。

 それでも、世界は、先進国も途上国も含め、生活の向上、健康の増進、自由と人権の拡張を求めて邁進してきたので、地球全体のことはそれほど考慮されなかった。

 ところがいまでは、それが具体的に、空気中の二酸化炭素濃度の上昇、気温の上昇、海面の上昇、生物種の絶滅、かつてない規模での気候の攪乱という現象を引き起こし、人びとは毎日の生活を見直さざるをえなくなった。

 そこで、いま世界中で叫ばれているのは、持続可能な社会の構築であり、カーボン・ニュートラル(脱炭素)政策である。

価値観の転換期においては
世界の国がイチからのスタート

 目標はわかった。私たちは、いまの文明のあり方を変えねばならない。これまでの延長では、この文明は続かない。しかし、どのようにすれば新たな目標を達成できるのか、筋道は誰にもわからないのである。

 ということは、新たな目標に関して言えば、いまはどの国も「途上国」なのではないか。