先進国というのは、これまでの世界観、文明史観のうえでの先進国であるのだが、その世界観、文明史観を変えねばならなくなったいま、新たな目標に向かう筋道は誰も知らない。だから、どの国も「途上国」なのだ。
そんなことを考えてみると、まだ資金的な余裕はあるだろうという点で、現在の「先進国」は有利かもしれない。とにもかくにも、豊かなのだから。
しかし、豊かさを支えているのが現在の仕組みであり、仕組み自体を変えねばならないというのであれば、この点は有利には働かないかもしれない。
それよりも、いままでの常識による豊かさをもたないシステムで動いている途上国のほうが、変革に対する高い自由度をもっているかもしれない。
私は、いまの閉塞的な社会状況で、あまり希望をもてないでいる日本人学生が、これからの社会について真剣に考えているタンザニア人の学生と話す機会をもてば、双方にとって貴重な刺激になるのではないかと感じた。
人びとがどんな立場に置かれていようと、地球は1つなのだから。
100万年以上にわたって
型が変わらない石器
最近の社会の変化やテクノロジーの進展はあまりにも速い。
およそ600万年前に、いまの類人猿の仲間から分かれたころの人類の脳の大きさは、現在のチンパンジーなどとほとんど同じ、350ccほどだった。つまり、人類は、常習的に直立二足歩行するというだけで、何百万年もの間、もう1つの類人猿にすぎなかった。
およそ200万年前に、ホモ属に分類される人類が出てきたが、彼らの脳容量は、およそ1000ccと格段に大きくなった。足の親指が外に向かって開いておらず、足指で木の枝を握ることはもうできない。てくてくと長距離を歩くことに特化したのだ。
このホモ属が使っていた石器で最も有名なのは、握斧(ハンドアクス)である。表と裏それぞれを少しずつ縁を欠いて鋭くしてあり、全体が涙型で、一定の「型」が見受けられる。
それまでの人類が使っていた石器は、必要に応じて石をぶっ欠いてつくられていたので、「型」がないが、握斧はそうではない。きっと、上の世代から下の世代へと伝承されていったのだろう。
ところが、この握斧は、100万年以上にわたって、型にまったく変化がないのである。いまの皆さんは、100万年以上にもわたってイノベーションのない時代というのを、想像できるだろうか?







