握斧は実際にどう使われていたのだろう?これを使ってゾウの皮をはぐことも、肉を解体することもできるので、狩猟の際に使われていたとは推測されるのだが、はっきりとはわからない。つまり、あまり明確に用途が限定された道具ではないのだ。
弓矢の矢じり、大きな木の実を砕くためのハンマーなど、用途別に特化した道具が出てくるのは、50万年前あたりからだ。
いまや道具の発展スピードが
人間の許容範囲を超えてしまった
その後、さまざまな道具が発明されるようになり、釣り針は魚釣りの道具、縫い針は着る物を縫うための道具、というように、目的が容易に推測できるような道具の種類が、どんどん増えていく。
それでも、生活の基本は狩猟採集である。自然の恵みを獲るだけで、獲れないときには皆で嘆いて飢え、ときには餓死する。たくさん獲れたときは「お祭り」で、皆で飽食する。
生活のリズムは自然のリズムであり、あらかじめ計画を立てても思いどおりにいくとは限らない。
こんな暮らしで生きていくには、個人がそれぞれ、ずいぶんとたくさんのことを知っていなければならない。
食べられるものとそうでないものの区別、危険の回避、狩猟と採集の仕方、肉の解体の仕方、キャンプの設営の仕方、火のおこし方、病気や怪我の治し方、子どもの世話の仕方……。
そして、社会関係をうまく維持していくためのさまざまな方策。
『美しく残酷なヒトの本性 遺伝子、言語、自意識の謎に迫る』(長谷川眞理子、PHP研究所)
人は、基本的にこれらのことをすべて自分で身につけていなければならないのだが、単独で生きていくことはできない。血縁、非血縁も含めた多くの他者と一緒に共同作業をしなければ生きられないのである。
しかし、人びとの間でつねに利害が一致しているわけではないので、競争も協力もあり、だまされないようにすることも必要だ。
それでも、社会全体の様相がどんどん変化することはなかった。約200年前の産業革命以後、抗生物質の発明、家庭電化製品の普及、自動車や飛行機、そしてコンピュータ、いまではスマホ、生成AIと、毎年のように、それまでの常識が覆されていく。
道具は人びとの生活を変える。その道具の発展の速度が速すぎる。だから生活が変わりすぎている。
生物としての、この身体と心の働き方からあまりにもかけ離れた生活を、私たち自身がつくっていることに、警鐘を鳴らしておきたい。







