文部科学省によれば、暴力行為の内容は「生徒間暴力」が8万460件、「器物損壊」が1万4072件、「対教師暴力」が1万3043件、「対人暴力」1412件となっています。生徒間暴力はともかく、先生に対する暴力が、器物損壊と同じくらいの数字になっていることに驚きを禁じえません。
昭和の不良の校内暴力は
彼らなりの大義があった
学校で行われる暴力行為は「校内暴力」と呼ばれます。この言葉が広まったのは、1970年代後半から1980年代にかけてです。
当時を知っている世代の人たちが校内暴力と聞けば、おそらく不良グループが学校の中で暴れ回っている光景を想像するのではないでしょうか。
体育館の裏で新入生をリンチする先輩たち、バットで割られた校舎の窓ガラス、学校の不良グループ同士の抗争、気の弱い先生をターゲットにしたいじめ、校庭で盗難バイクを乗り回す卒業生たち……
このような暴力の根源にあったのは、尾崎豊の歌詞にあるように、大人による抑圧に対する抵抗であり、逃避だったと言えるでしょう。たしかにあの時代の社会には、“管理教育”“学歴主義”が今以上にはびこっていました。
学校は子どもたちの個性に目を向けず、横一列に並べ、テストの点数を競わせました。そして学力が高く、先生に従う子には「優等生」の称号を与えて、そうでない者には「劣等生」の烙印を押していた。
後者の子どもたちがこれに抵抗する形で作り上げたのが不良文化でした。ボンタンや短ランと呼ばれる変形の制服、リーゼントやパンチパーマと呼ばれる派手な髪型、鉄板を入れた学生鞄やナックルのような凶器、シンナーや暴走といった非行……。
今の子どもたちは漫画や映画でしか不良文化を見たことがないので、どうしてわざわざそんな格好をしていたのか、理解に苦しむかもしれません。
でも、学校へ行ってまでそんなスタイルを誇示したのは、それが当時の子どもたちにとってのレジスタンスだったからです。
このような子どもたちの反抗心がもっとも過激な形で表出するのが、校内暴力と呼ばれる行為でした。







