「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)

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「外国人のマナー無視」なぜ?

円安の影響で日本旅行に来るインバウンドの数が爆伸びしている。訪日外国人の中にはマナー無視な人々もいて、SNSやニュースで日本人の怒りをかっているケースが見られる。

「郷に入っては郷に従え」が基本だが、なぜ、彼らのマナーや周囲への配慮レベルが日本人の常識とかけ離れているのか、その理由を考えたことがあるだろうか。実はその理由をよく考えてみると、日本にいると気付けない視点が手に入ることがある。今回はそのうちの1つを見てみよう。

インド人は車線を守らない

私の駐在先であるインドでは、車線だってあってないようなものだ。特に早朝や夜間など周りに他の車がいない時の三車線道路は、白帯をまたぎながら一番走りやすそうなところを悠々と走っていく車を見る。

インド民に、「車線を守らないのか?」と聞くと、「他に車がいないのに車線を守る必要があるのか?」という返答。あらためてそう聞かれると、彼を説得するだけの十分な理由を私は持ち合わせておらず、単に「そういうルールのはずだ」という言葉しか出てこなかった。

ある意味、彼らは究極に合理思考なのだ。

ルールやマナーは何のためにあるのか

もちろんは、ルールやマナーは、「皆がそういう行動を取ることによって、場の秩序が維持されて結果的に全体最適が生み出される」という意味では合理的な仕組みだ。

一方で、そういった文脈を理解せずに、個別最適で合理思考を繰り広げる人々が、日本というコミュニティの中に入ってきたとき、マナーと合理思考は時としてバッティングし、私たちをイライラさせることがある。

マナーを押し付けられて疲弊する日本人

しかし、一歩下がって考えてみると、時折見かける口うるさい“マナー教室の先生”のように、マナーを押し付けてくるような人のほうが、私たちを一番イライラさせる存在かもしれない。どうでもいいしきたりや、実際は誰も得していないルールに縛られて、自分ががんじがらめになっている現代日本人も多いだろう。自由奔放に生きるマナー違反の外国人を見て、迷惑半分、嫉妬半分な感情が我々にはある。

『インド人は悩まない』では、「考えすぎ」から解放される究極の合理思考を身に着け、自分の人生を生きるための技術を、インド民の生活やインド社会の本質に触れながら紹介している。常識外れなのに、日本人の悩みの根に効く思考法をインドからお届けする。

(本記事は『インド人は悩まない』の一部を抜粋・調整・加筆した原稿です)