途中で間違って口授して、それを事務官が書いてしまった場合には、「ごめん。○○に訂正して」などと言って気遣いをしなければならない。また、供述内容をどのように頭で整理しながら口授するのか。それは、大変な作業であり、いつも締切りに追われる作家みたいな心境だ。

 検事も、調書作成ということがなく、単に取調べだけで終わって、その録音や録画を証拠として出すだけというならば、なんと楽なことだろう!

 私は検事を辞めたとき、解放感を覚えた。

 それは、「もう今日から調書を作らなくて済むんだ」という安堵感だった。たかが調書1つで、と笑われるかもしれないが、あの解放されたときの何とも清々しい気持ちは今もって忘れられない。

書影『検事の本音』(村上康聡 幻冬舎)『検事の本音』(村上康聡 幻冬舎)

 検事にとってもう1つのストレスは、難のある上司のもとで仕事をすることである。

 例えば、上司に事件処理の決裁を上げても、助言してくれるどころか、いろいろと難癖をつけたりして、最悪、不起訴になるケースさえある。とんでもないことであるが、事実である。

 不起訴裁定書の理由や公判引継事項書、場合によっては供述調書の内容や表現に至るまで、自分の趣味的な言い回しを押しつけてくることさえある。

 上司の中には、嫌みを言って部下の検事を突き放し、自分はさっさと帰っていく利己的な人もいた。

 検事には、身柄拘束期間の満了が近づくにつれ、調書作成と上司による決裁をいかに仰ぐかの二重のストレスが重くのしかかる。

 すべての事件においてそうなのだから、ストレスはさらに何倍にもはねあがるのだ。