
裁判官たちは日々重い決断を迫られる。彼らのなかには、死刑判決の前に精神が不安定になってしまった者もいるという。裁判官もまた人間であり、彼らが抱える葛藤から、裁判官の本音を紐解いていく。※本稿は、井上 薫『裁判官の正体 最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
和解で終わる事件に隠された
裁判官たちの切実すぎる本音
民事の場合は和解で事件が終了することがあります。当事者双方がもちろん意見が合わないから訴訟を進めてきたものの、まあ証拠もだいたい出たし結論も想像つくからそれを前提に話し合いをしてそれで決めようという流れが和解を生みます。当事者だけではなかなか話がまとまらないので、裁判所が仲介するということが多くあります。裁判官というのは、判決を書く人ですからその人にいわれると説得力があります。このままだと負けちゃうよといわれたら、普通の当事者はじゃあ和解をお願いしますとなりがちです。
そういうわけで和解がかなり行われています。和解すると判決を書かないで済む。朝から晩まで目を酷使し続けている裁判官にとっては、嬉しいことです。勤労者としての労力の使い方という点からしても和解の魅力は捨てがたい。実際、民事事件の半分くらいは和解で終わります。
和解をするとその事件は一件落着となり、事件は終わってしまうので、当然、裁判官は判決を書く必要がなくなります。書きたくても書くこともできなくなります。この辺の事情は、あるいは国民一般はあまり知らないのかもしれませんね。