逆らう者は「不順の子」として社会から認められないのが常である。
これを西洋諸国の習慣と比べてみると、わが国の女権には、ある種の特色があることがわかるだろう。
また、まだ母になっていなくて、夫に仕えているその間にも、ただ従順卑屈なのは外面的な礼儀だけ、という人もいる。
内実は自分だけで家のことを取り仕切っていて、主人としては、自分の好きなようにできないと感じることもあるようだ。
たとえば商売人の取引において、相手の信用度を測ろうとするとき、「奥さんはどんな人なのか」は、最も大切なポイントである。
もし奥さんがよくできた人であれば、「この人が面倒を見てくれるだろう」と思いながら、資金を融通したり、品物を預けたりするといった例は、商人の世界では珍しくない。実の権力がどちらにあるか、うかがい知れる。
また主人と奥さんで出身地が違って、そのせいで衣服や食事の好みも自然と差異があるといった場合、家の習慣はどちらに傾くかと言えば、たいていは奥さんの意思通りになるのが常のようだ。流行りに合わせた衣服の選び方、料理の味付けの塩梅など、いつの間にか奥さんの嗜好となって、子供はもちろん、主人も知らず知らずのうちに服従させられてしまう。
たとえ夫婦の関係であっても
礼儀を忘れてはならない
こういった事実を列挙していけば、書けることはいくらでも出てくる。
要するに、日本の女子は男子に対して卑屈であるのはその通りだが、外面的に見た通りかと思ったらぜんぜん違う、という話だ。ことがらによっては、その実際的な勢力が西洋の婦人を上回っていることもある。
女性の権利を論じる人も、このあたりのことによく注意して、やたらに騒ぎ立てるのは止めてほしい。直接的にその実権の軽重を議論するよりも、まずは、その外面的なことにおいて改良を目指し、日本婦人が持つ固有の優美さはそのまま大切に保ちながら、男子の方には女性への接し方をやさしくさせるのだ。







