『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』『ニモ』『カーズ』など独創的なアニメーションを次々ヒットさせ、世界随一のクリエイティブな企業としても多くの人々が憧れる、ピクサー・アニメーション・スタジオ。その共同創業者であるエド・キャットムル氏の著書『ピクサー流 創造するちから』より一部を紹介する。今回はピクサー創業前夜、誰が最初にコンピュータ・アニメーション映画を生み出すのかとしのぎを削っていた1970年代当時に、ニューヨーク工科大学のコンピュータグラフィックスラボにいたエドたちが、少しでも早くゴールに到達しようとセオリーの逆を行く戦略を取った背景のほか、抱えていた迷いについて語る。

大学時代を参考にした「フラットな組織」
我々ニューヨーク工科大学(NYIT)の目標はただ一つ、アニメーションやグラフィックスの領域でコンピュータの限界を打ち破ることだった。その使命が人に知られるようになるにつれ、その分野のトップ人材の興味を引くようになった。スタッフの数が増え、その管理方法を見つけることが急務となった。
私は、大学時代に経験したようなフラットな組織をつくった。それはおもに、自分の下に管理職をたくさん置く階層的な構造にすれば、管理に時間を取られて自分の仕事ができなくなると単純に考えたからだった。個人が自分で決めた仕事を自分のペースで進めるのに任せるこの構造には、それなりの限界もあったが、実際のところ、モチベーションの高いスタッフに膨大な自由を与えることで、短期間にかなりの技術的飛躍を行うことができた。組織として革新的な成果を上げ、その多くは、コンピュータと手描きアニメーションとを融合させる方法に関係していた。
たとえば1977年、私は、自動中割り機能を持つ「トゥイーン」という二次元アニメーション・プログラムを書いた。原画(動きのポイントになる絵)と原画の間の絵を描くという非常にお金と労力のかかる作業を肩代わりする。
我々がもう一つ夢中になっていた技術的な課題は、「モーションブラー」と呼ばれるものをつくることだった。アニメーションでは一般的に、そしてコンピュータ・アニメーションではとくに、画像は完璧に焦点が合っている。それはいいことのように思えるかもしれないが、実際には、人はネガティブな反応を示す。動いている物体に完璧に焦点が合っていると、観客は、不快なストロボ効果(コマ落ち)のような感覚に襲われ、ぎくしゃくした動きと感じる。
実写映画ではこの問題は起こらない。従来のフィルムカメラは、物体が移動する方向にわずかなブレを捉えるからだ。このブレによって脳は鋭いエッジに気づかず、ブレを自然だと感じる。モーションブラーなしでは脳は違和感を覚える。そのため、アニメーションでそれをどのように擬似的につくり出すかが課題だった。人間の目がコンピュータ・アニメーションを受けつけなかったら、この分野に未来はない。
しかし、当時取り組んでいた企業のほとんどは、CIA並みに徹底した秘密主義を貫いていた。誰が最初にコンピュータ・アニメーション映画をつくるかを競っていたため、技術的な発見を内密にしていた。しかし、アルヴィと相談して、我々はその反対を行くことにし、成果を外部と共有することにした。目指すゴールがあまりに遠く、アイデアを抱え込んでいてはいつまでもたどり着けそうになかった。
ゴールに早く到達するための決断
そこでNYITはコンピュータ・グラフィックス(CG)界とつながり、発見をすべて公表した。業界団体に参加してあらゆる研究者の論文に目を通し、主要な学会で積極的役割を果たした。透明性のメリットをすぐに実感できたわけではなかったが(もっとも、最初から見返りを期待していたのではなく、そうするのが正しいと思ったから始めた)、徐々に人との関係やつながりができ、それが予想をはるかに超えて貴重なものになった。そのおかげでさまざまな技術革新を生み、創造性というものに対する理解を深めることができている。
仕事の成果は上がっていたが、それでも私はNYITで迷いがあった。アレックスのおかげで、コンピュータ・アニメーションの世界で技術革新を起こすために必要な機材を買い、人を雇うことができていたが、映画づくりに通じた人は一人もいなかった。コンピュータで物語を語るための機能は開発していたが、ストーリーを語れる人がいなかったし、その才能はとくに乏しかった。この限界を痛いほど感じていたアルヴィと私は、開発したツールへの投資を取りつけようと、ディズニーや他のスタジオを密かに訪れた。
興味を示す企業があれば、アルヴィと私はNYITを離れてチームごとロサンゼルスに移り、実績のある映画の制作者やストーリーテラーと組むつもりだった。だがそうはならなかった。話を持ちかけた先々で断られた。今では想像もつかないが、1976年当時、ハリウッドの映画の制作にハイテクを導入するというアイデアは、優先度が低いどころではなく、相手にもされていなかった。しかし、それをある人物が変えようとしていた――『スター・ウォーズ』という映画で。







