12キロメートル地点が
最初の勝負ポイントに
9.6キロ地点は、第90回箱根駅伝で2区を駆けた山梨学院大学のエース、エノック・オムワンバが右足腓骨の疲労骨折で途中棄権した場所だ。1階に野々山歯科医院、2階に吉村耳鼻咽喉科があるビルの目の前での出来事だった。オムワンバは、仲間に申し訳ないと、その場で涙を流したという。
10キロメートルの浜松町交差点には最初の給水地点がある。ここで選手は監督からの指示や先方後方の選手とのタイム差、距離を聞き、最後に給水員から激励の言葉を受けて保土ケ谷に向かう。
保土ケ谷東口バスターミナル付近がちょうど中間地点になる。ここまでは、単独で快走する選手もいるが、集団で走っているケースが多い。各自、周囲の選手の様子を伺いながら、来る勝負に向けていろいろ思考を巡らせている。
12キロメートルの保土ケ谷橋の信号を右折すると、いよいよ最初の勝負ポイントとなる権太坂へと続く道に入る。
交差点から少し行くと、史跡「保土ケ谷宿本陣跡」が見えてくる。徳川家康の時代から、東海道を行き来する幕府の役人や参勤交代の大名が宿場に接地された本陣に宿泊した。今はかつての門の遺構が残っているだけだ。
さらに進むと、左に保土ケ谷宿の松並木が見えてくる。この付近のマンホールには、箱根駅伝の図柄のものがある。
13キロメートルを超えたところから緩やかな上りになり、権太坂に入っていく。2区を走る選手の多くは、ここからが「本番」と気持ちがグっと入るという。
権太坂を下り始めたあたりが
スパートを仕掛けるタイミング
実は、本来の権太坂は、旧東海道にある。
その坂の改修記念碑が、その昔「一番坂」といわれたと思しき場所に建てられている。記念碑の脇には祠があり、中には道祖神が祀られている。
権太坂の名前の由来は諸説あるが、旅人が坂の名を尋ねた際、耳が遠い老人は自分の名を聞かれたと思い、権太と答えたのがもっとも有力な由来といわれている。
また一説には1659年、坂の改修工事を手がけた藤田権左衛門の名にちなんで名づけられたともいわれている。







