【箱根駅伝2区】わずか90秒で破られた区間新…「渡辺VSマヤカ」が永久不滅の名勝負と言われるワケ箱根大学駅伝・2区を走る早大・渡辺康幸 Photo:SANKEI

箱根駅伝の名勝負といえば、「渡辺康幸VSステファン・マヤカ」の2区の激走が外せない。ときは第71回箱根駅伝(1995年)。ライバル校だった早稲田大学と山梨学院大学のエースが、かつてないほど熾烈な区間賞争いを繰り広げたのだ。2人の証言とともに、「永久不滅の対決」の裏側を伝える。※本稿は、作家の佐藤 俊『箱根2区』(徳間書店)の一部を抜粋・編集したものです。

高校時代からしのぎを削ってきた
渡辺康幸とステファン・マヤカ

 2区のリレーゾーン、ステファン・マヤカと渡辺康幸は、お互いに意識していた。

 マヤカが初めて渡辺と走ったのは、1991年の第7回日本ジュニア選手権だった。10000メートルに出場したマヤカが優勝し、渡辺は3位だった。マヤカは話す。

「そのときは、互いのことをまだ知らなかったんです。でも、そこから一緒に走ることが増えて、渡辺のことを意識し始めました。大学生になって1年生の全カレ(編集部注/全日本学生選手権)で5000メートルを一緒に走り、僕が4位で渡辺が2位だったのかな。

 そのとき、僕は日本語をあまりしゃべることができなかったので、たくさん話ができなかったけど、彼のすごさはよくわかっていた。お互いを意識する存在になっていたので、箱根で同じ区間を走れるのは楽しみだった」

 高校のときからしのぎを削ってきた渡辺と、駅伝で同じ区間を走れる。少しの緊張とワクワクした気持ちをマヤカは抑えきれなかった。

「いや、もう絶対に負けない。圧倒的に勝つことしか考えていなかったです」

 渡辺は、マヤカに対してメラメラとしたものを抱えていた。