そのころ、ワシントン大学のプログラマーが、コンピューター・センター・コーポレーション――通称C-Cubed(Cの3乗)―という会社を設立し、地元企業にコンピューターの使用時間をリースする事業を始めた。幸運なことに、設立者のひとりであるモニーク・ロナの息子が、たまたまレイクサイドに通っていた。学年はゲイツのひとつ上だ。

毎晩プログラミングに没頭した
高校に進学した当時を振り返る

 そこでロナは考えた。レイクサイドのコンピュータークラブは、無料でプログラミングができる時間がもらえるなら、週末にC-Cubedのソフトウェアのテストを引き受けてくれるだろうか?もちろんだ!

 そしてゲイツは、放課後になるとバスに乗ってC-Cubedのオフィスへ行き、夜遅くまでプログラミングに没頭した。

 その後、C-Cubedは破産した。そのためゲイツと友人たちは、今度はワシントン大学のコンピューターセンターにたむろするようになった。

 それから間もなく、彼らは情報科学インク(ISI)と呼ばれる組織と親しくなった。ISIは、会社の給与計算を自動化できるようなソフトウェアを開発することと引き換えに、ゲイツたちが無料でコンピューターを使うことを許可してくれた。

 1971年のある7カ月間を抜き出してみると、ゲイツと仲間たちがISIのメインフレームコンピューターを使った時間は、合計で1575時間になる。毎日使ったとすると、平均して1日に約8時間だ。

「コンピューターに取り憑かれていたよ」と、ゲイツは高校に上がった当時をふり返る。

「体育の授業をさぼった。夜もあそこへ行った。仲間たちと一緒に週末もプログラミングをした。1週間に20時間とか30時間もプログラミングするのはざらだった」

「あるとき、ポール・アレンと私が大量のパスワードを盗み、システムをクラッシュさせて騒ぎになったことがある。私たちは追い出されてしまったよ。夏の間ずっとコンピューターに触ることができなかった。15歳から16歳にかけてのことだ」

「そのとき、ポールがワシントン大学の無料で使えるコンピューターを見つけてきた。大学のメディカルセンターと物理学部に設置してあるマシンだ。24時間体制で稼働できたが、明け方の3時から6時くらいまでは何の予定も入っていない」。ゲイツは声を出して笑った。