第3のチャンスは、その資金が尽きたときに、保護者のひとりがたまたまC-Cubedで働いていて、そしてC-Cubedがたまたま週末にコードのテストをしてくれる人を探していたこと、加えてたまたまその人が、週末だけでなく、平日の夜も働けたことだ。

 第4のチャンスは、ゲイツがたまたまISIのことを知り、そのうえISIもたまたま給与計算ソフトをつくってくれる人を探していたこと。第5のチャンスは、ゲイツの自宅がたまたまワシントン大学に歩いて行ける場所にあったこと。第6のチャンスは、たまたま午前3時から6時は大学のコンピューターが空いていたこと。

 第7のチャンスは、TRWがたまたまバド・ペンブロークに電話をしたこと。第8のチャンスは、ペンブロークの知るかぎり、TRWの仕事に適したもっとも優秀なプログラマーがレイクサイドに通う2人の高校生だったこと。そして第9のチャンスは、レイクサイドがその2人の生徒に、春の間ずっと、はるか遠くの場所でコードを書くのを許してくれたことだ。

ビル・ゲイツはチャンスを
何に変えていった?

書影『Outliers 思考と思考がつながる 最適解がみえる頭の主になる方法』(マルコム・グラッドウェル、サンマーク出版)『Outliers 思考と思考がつながる 最適解がみえる頭の主になる方法』(マルコム・グラッドウェル、サンマーク出版)

 ここにあげたチャンスのほぼすべてに共通する点は何だろう?それは、ビル・ゲイツが大量の練習時間を手に入れたということだ。

 大学2年生の終わりにハーバードを中退し、ソフトウェア会社の設立に挑戦するまでに、ゲイツは7年の間、ほぼノンストップでプログラミングを続けてきたことになる。その時点で1万時間を優に超えていた。世界広しといえども、ゲイツのような経験ができる10代の子どもは、はたして何人いるだろう?

「世界で50人いたら驚きだ」と、ゲイツは言う。

「C-Cubedがあり、給与計算ソフトの仕事、そしてTRWだ。次から次へとチャンスに恵まれた。あの当時、あれほどソフトウェア開発の経験を積むことができた子どもは他にいないだろう。それもすべて、きわめて幸運な出来事が重なった結果なんだ」