つまり、裕福な家庭の子どもと貧しい家庭の子どもの違いは、学校の授業がない時期に何をするかでほぼ決まっているようだ。
生育環境と学業成績の関係を探る
学校教育には根本的な問題が潜む
これは何を意味するのだろう?現実的な可能性としてひとつ考えられるのは、生育環境が学業成績に与える影響だ。
裕福な家庭に育つアレックス・ウィリアムズ、彼の両親は、子どもには総合的な教育が必要だと信じていた。そのため、息子を美術館や博物館へ連れていき、塾に通わせ、さまざまな体験や学習ができるサマーキャンプに参加させた。
アレックスは、家で退屈すると、たくさんある蔵書から読む本を選ぶことができる。それに彼の両親は、息子が世界と積極的に関わっていられるようにするのが親の務めだと信じていた。アレックスの数学と読解力の成績が夏の間に上昇するのも、まったく不思議ではないだろう。
しかし、ケイティ・ブリンドルはそうではない。ケイティはアレックスと違い、裕福ではない家庭で生まれ育った。サマーキャンプに参加できるようなお金はない。母親から塾に通うように言われることもない。家で退屈したときにすぐに読めるような本もない。彼女の家には、おそらくテレビくらいしかなかっただろう。
もちろん、それでも楽しい夏休みをすごすことは可能だ。新しい友達ができたかもしれない。外で遊んだり、映画を観に行ったりもしただろう。誰もが夢見る自由な時間だ。とはいえ、これらの活動の中に、数学や読解力の成績を上げてくれるようなものはひとつもない。ケイティが自由な夏休みを楽しめば楽しむほど、アレックスとの差は開いていく。
アレックスの頭脳がケイティよりも優れているというわけではない。ただアレックスのほうが勉強しているというだけだ。彼は夏休みの間もしっかりと勉強を続けている。一方でケイティは、ただテレビを見たり、外で遊んだりしているだけだ。
アレクサンダーの研究からわかるのは、アメリカにおける教育に関する議論は、そもそもの前提が間違っているということだ。1クラスの人数を減らす、カリキュラムを変更する、すべての児童・生徒に新品のノートパソコンを支給する、学校の予算を増やすといった話題に多大な時間を費やしている。こういった話題が出るのは、学校教育のあり方そのものに何か根本的な問題があると考えているからだ。







