大学に「合格した人」と「不合格だった人」、体験記から見える“共通点”『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク

三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第109回は、「合格体験記」について考える。

「不合格体験」と「合格体験」は紙一重

 東大卒の龍山高校OBである矢島勇介は全校集会で、「東大なんて行くなっ!」と豪語する。東大合格請負人の桜木建二は、「『東大に行くな』と言えるのは東大へ行ったヤツだけだ」と反論するのだった。

 受験の体験はどこまで行ってもポジショントークだ。「今まで」「自分」の体験しか身をもって語れない以上、「合格してから言ってくれ」「受かった人に俺の気持ちはわからない」という意見が付きまとう。

 多くの人にとって、受験の体験は実体験以外の具体例を持たない。ネットや塾などで意見を探そうとしても、多くが成功例だ。

 その成功例も多くは「物語化」されている。「これをしたから受かった」という人の裏には、同じことをして落ちた人がたくさんいることだろう。

 私の母校には、「不合格体験記」なるものがあった。「合格体験記」ではない。歴代の先輩方の「あのときこうしておけばよかった」という切実な体験談が詰まっている。学年集会で進路指導部の先生がそれを読み上げ、生徒に発破をかけるのが恒例となっていた。

 だがそれを聞いてみると、一部合格体験記と共通している内容があることに気が付く。例えば、「部活を早めにやめてよかった」という合格体験記と、「部活を最後まで続ければよかった」という不合格体験記。

 同じ大学・学部を志望した生徒でも、「共通テストは直前に詰め込めばどうにかなる」という合格体験記と「共通テストはコツコツ対策すべきだった」という不合格体験記。

 身も蓋(ふた)もない結論で恐縮だが、どこまで行っても「人による」としか言いようがない。

無理に数字にこだわらなくていい

漫画ドラゴン桜2 14巻P113『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク

 統計的な傾向を正確に把握しようとするならば、それこそ全ての受験生の詳細なデータ(学校、志望校、親の年収、通っていた塾、学校の定期テストなど)を集めなくては意味がない。

 そのようなことなしに、「合格する人には○○する人が多そうだから自分も○○しよう」という考え方は危険だ。むしろ、「部活は続けた方がいい」「学校の宿題はしっかりやった方がいい」という結論ありきの押しつけになりかねない。

 もしかしたら、今までの自分のデータを分析すれば、勉強の「最適解」の存在が見つかるのかもしれない。

 だが、それは絵空事だ。私は、無理に数字にこだわる必要はないと思う。東大合格者の何%が部活を高校3年生まで続けていたか、そんなデータをいちいち確認するくらいなら、なんの根拠もない身近な1人の「物語」を信じることの方がかえって有効だろう。

 もちろん、自分自身を信じられればそれに越したことはない。だが、私も含めて多くの場合、経験のない自分を信じ切れるほど強くはない。担任の先生の言葉や、尊敬している先輩、自分が信じたいと思うロールモデルにすがりついて必死に勉強するしかないのではないだろうか。

 無機質なデータや有名人の言葉を追うよりかは、いざという時に自分が「すがりつける」人がいた方が、精神的に安定できる気がする。

漫画ドラゴン桜2 14巻P114『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク
漫画ドラゴン桜2 14巻P115『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク