しかし、現実の多くの問題は簡単に分割できるものなのか。現実の問題は、たんに重ねたいくつかの積み木でできた城ではありません。

 現実の事柄は、すべてがからみあって混沌としているからこそ、それが問題となって頭を悩ませているのです。

 いわゆる既存の問題解決のノウハウは、単純な問題に対してしか役立たないということがほとんどです。既存のノウハウを煮詰めてしまえば、物をどのように処理したりあつかったりするかということを述べているだけなのです。

 そこにかかわる人間の事情や心理については、無視されていたりします。身近なことでいえば、会計の処理の仕方もまた既存のノウハウですが、その項目の一つである、経費が何を指しているかについては単純な説明しかありません。

 だから、ある費用を経費として認めるかどうかで紛糾(ふんきゅう)が生まれ、いまだすっきりと解決されていないのではないでしょうか。

 学校ではもっぱら、物の処理についてのノウハウが教えられています。人間がかかわる現実の問題の対処については教えられることが少ないようです。学校のテストの成績がよかった人が、現実の問題をもきれいに解けるということにはなりません。

 ところが、学校の成績がよかった人を、世間では頭のよい人と呼ぶ癖が見られます。あるいは、彼らを普通以上に能力の高い人とみなすことも多くあります。

 学校の成績がよかった人が本当に能力の高い人ならば、とっくの昔に官僚たちは国の多くの問題をあざやかに解決していたのではないでしょうか。

一個の桃を三人で分ける最適解とは?
問題だけを見つめていても、答えは出てこない

 では、現実に起きている問題はどのようにして解かれるのでしょうか。

 あるいは、問題への対処はどのようにするべきなのでしょうか。

 問題にはそれぞれ人間がかかわっています。であるならば、その人間も含めたうえで問題に対処すべきだ、ということになるでしょう。

 つまり、問題だけを見つめていてはいけないということです。