「月9」を見るために家で待機
そんな時代は終わった

 筆者は中年なので昔話をするが、90年代はフジテレビの「月9」が大変な高視聴率で、『ロングバケーション』放送時にはOLが夜の街から消えたとさえ言われた。今思えば、シンプルで平和な時代だった。

 現代では「OL」は死語になり、そして当時のような高視聴率ドラマは消えた。SNSで話題になるドラマはもちろん今でもあるが、「推し作品の細分化」が進み、誰もが同じドラマの話をしている状況はすでにない。

 コンテンツを選ぶ楽しみはあるけれど、人間とは贅沢なもので、無限の選択肢はそれはそれでストレスとなる。疲れる人がいて当然である。

 1日は24時間のままなのに、見られるコンテンツだけがこの10年ほどでも指数関数的に増えた。さらにアルゴリズムによって、自分が好きそうなコンテンツの情報が流れて来やすい。

 昔は地上波を放送時間に合わせて見なければならなかったし、後から見ようと思えば自分で録画する必要があった。今は見逃し配信という便利なものがあり、「いますぐ見なくてもいつでも見られる」からこそ、見逃したコンテンツが積み上がっていく。それを消費できないことに、後ろめたさを持ってしまう。

 映画やドラマのレビューといえば、昔は本と雑誌がメインだった。本や雑誌は刷り上がるまでにそれなりに時間がかかる。しかし現代ではスマートフォンとSNSによって、瞬時に誰彼の感想が流れてくる。

 公式がネタバレ配慮を求める場合もあり、また視聴者たちから自然発生的にネタバレ配慮のマナーが生まれてもいるが、それでもコンテンツ公開からある程度の期間がたてば、ネタバレ込みの感想が目に入ってくるのは仕方ないものと見なされる。

 レビューや感想を多くの人が書き込むことにより、消費のスピードが早まる。話題の鮮度が落ちるのがあっという間なのである。

 興味関心の近い人がSNSでこぞっておすすめしていれば視聴したくなるのが人の常であるし、知り合いから直接DMで「これを見て」と言われる場合もある。

 コンテンツ過多と、間接・直接のリコメンドにより、現代のコンテンツ疲れは生まれている。この状況に我々はどう立ち向かえばいいのか。