自分にとっては「今日は1日インプットの日」と決めるのが一番良いのではないかというのが最近の気づきである。「半日」でも良い。
この歳になると、長編漫画や長いドラマシリーズなどは、まとめて見ないとそれまでの展開を忘れてしまうことも多々あるので、集中してエンタメを消費する日は必要であると感じている。
何をしていても気になるスマホ
これが集中力を削ぐ元凶だった!
(3)コンテンツ消費の際にスマホを絶つ
読書をしていてもついついスマホに手を伸びるとか、ドキュメンタリーの配信を見ている途中でLINE通知が気になってしまうというのは、現代人なら多くの人に経験があるのではないか。
こんなことを言うと、「集中して楽しめていないからそうなるのであって、集中できるコンテンツを選べばそうはならない」という天の声が聞こえてきそうである。しかし現代人がネット環境と引き換えに失った集中力は、そんなお説教を言われたところで急に戻ってくるわけではない。
スマホを「なんとなく手に取ってしまう時間」を絶つことは、地味ながらコンテンツ消費の特効薬となる。
(4)サブスク課金は月イチで見直す
これは節約が得意な人にとっては当たり前の話かもしれない。しかし面倒くさがりな人は、1回も利用しない月があっても「まあ来月は見るかも」と思ってついついサブスク課金を続けてしまい、支払いとともに「あんまり消費できなかった」ストレスを抱えることになる。
きちんとした性格の友人は、「例えばある配信サービスで見たいものがある場合は、その配信サービスで見たいコンテンツがいくつか貯まってから1カ月間だけ加入してまとめて見る。翌月も課金を続けるかは都度考える」と話していた。
「きっと見るはず」と明日の自分に期待するのではなく、「今見なければ」という切羽詰まった気持ちを抱えてからの加入でも遅くない。
(5)「趣味」と「勉強」の切り分け
「見たい」と「見なければ」は違う。「見たい」は欲望で、「見なければ」は義務である。
「見なければ」に分類されるものは、筆者の場合「仕事のためになるもの」「なんとなく自己研鑽につながりそうなもの」「人間関係上、見ておかなければならないもの」などである。しきりとリスキリングが言われる時代なので、何らかの勉強を続けなければと焦りを感じているのは筆者だけではないはずだ。
当然、「見なければ」枠の方が視聴負債に入りがちで、これによって罪悪感を覚えがちである。「見たい(趣味)」と「見なければ(勉強)」にかける時間をそれぞれ決めておくと、この罪悪感はそれなりに薄れる。
コンテンツ過多の時代に必要なのは、すべてを消費しきる必要はないという割り切りだろう。「選ばない自由」を持ち、自分の時間と集中力をどこに使うかを意識的に決めなければ、この時代にうまく立っていられない。
コンテンツは人生を豊かにするためのものであって、追い立てられる原因であってはならない。情報の洪水から一歩距離を取り、自分のペースで楽しむ。そのための小さな線引きが、疲れないコンテンツ消費につながっていくはずだ。







