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*本記事はきんざいOnlineからの転載です。
戦前に理想とされた英米の1行取引
創業した企業は一つの銀行との取引から始まり、業歴が長くなるにつれて取引銀行数も増えていくのが一般的である。企業が自ら取引を申し込む場合もあれば、銀行からアプローチする場合もある。他方、米国のように1行取引が主流の国もある。では、なぜ日本において多数行取引が定着したのか――。本連載では、わが国の多数行取引を歴史、社会的文化、法制度などから多角的に検討し、解剖する。
わが国の銀行制度は戦前、英米の商業銀行を範としたため、少なくとも一部の識者は、手形割引などの短期金融を中心とし、1行取引を原則とする英米型の銀行取引を理想と見なしていた。しかし、邦銀は英米のように短期金融ではなく、主として不動産担保による長期融資を拡大し、多数行取引が定着した。以下では、戦前期において多数行取引を促した日本特有の要因を検討してみたい。
特定銀行の休業時に1行取引の欠点が露呈
明治期には、旧士族や旧華族、各地の有力者などが積極的に銀行設立に関与し、1872年の国立銀行条例制定後、短期間で多数の銀行が誕生した。1901年には、普通銀行数が1,867行とピークを記録した。だが当時、多くの銀行は資本基盤が脆弱で経営管理も不十分であった。そのため、関東大震災や金融恐慌を契機に休業に追い込まれる銀行が相次いだ。







