つまり、「身体能力が以前と変わらなくても、努力によって戦闘能力さえ上がれば、ゲームはクリアすることができる」という前提が置かれている。
身体は同じでも、ループし失敗から学び努力して選択を間違えなければ、次は成功することができる。――考えてみれば、ループものはこのような前提に支えられているのだ。
スペックさえよければ
人生が報われたのに…
一方、「転生」とは「身体」から変わることを指す。
先に述べた『転スラ』で重要なのは、「スライム」に転生したという事実だ。主人公の三上は「スライム」だからこそ、チートとも言えるスキルを獲得することができたのだ。
つまり「転生」において重要なのは、どんな身体に、どんな能力に、どんな世界に、転生したのか、そのスタート地点である。
ゲームをクリアするために必要な要素が、「転生」と「ループ」では異なる。
「転生」はスタート地点の変更を求めるが、「ループ」ではスタート地点はいつだって変更されない。
つまりゲームをクリアするために必要なものは、
転生=能力(開始)
ループ=選択(過程)
という前提が置かれている。
「転生」では「開始で得るスペックが有利なものなら、報われる」という前提に立ち、「ループ」では「過程で選ぶオプションを間違えなければ、報われる」という前提に立つ。
だとすれば、東はループものについて「ゲーム的リアリズム」と呼んだが、転生ものの背景には、「ガチャ的リアリズム」があると言えるのではないか。
「転生」とはガチャの概念を取り入れた想像力である。ガチャとは、硬貨を入れてハンドルを回すとランダムで手に入るカプセルトイの自動販売機のこと。要は抽選のようなものだ。







