親ガチャに失敗したとの思いが
「転生」ブームを生み出した?

 最近だと「親ガチャ」という言葉も流行している。どんな親のもとに生まれるかによって自分の生きやすさが変わってしまうということだ。

 そう、抽選で手に入るカプセルトイのように、自分の身体が何に生まれてくるかは誰にも選べない。

 だからこそ、ひょんなことから違うカプセルトイに生まれ変わったら?もっと良いカプセルトイに生まれ変わっていたら?違う人生が待っていたかもしれない。

 ―― 一方、この自分のままである限り、自分の望むゴールは達成できないこともわかっている。現世のガチャは失敗したのだ。だからこそ、「転生」というガチャのやり直しを欲する。さっさと来世に生まれ変わって、違うスペックの自分になりたい、と。

「転生」して違う自分(自らの意識のままで違うスペックをもった自分)になれば、ゴールに達するルートに乗ることができる。

『考察する若者たち』書影『考察する若者たち』(三宅香帆、PHP研究所)

 転生ものの物語の流行は、「違うスペックに生まれてきたかった」というガチャ的な欲望をもつ人びとに支えられているのではないか。

「転生」も「ループ」もゴール達成ルートを変える物語構造であることは変わらない。

 しかしそこには、ルートに乗れるスペックで開始するか、あるいはルートを探し当てる過程にあるかという違いがある。

 ――「親ガチャ」にしろ「転生」にしろ、現代のヒットコンテンツでは、生まれてきた場所や能力の影響力を重視する傾向にある。

 スペック、つまりもって生まれてきたもの、たまたまランダムで得た「ガチャ」の結果ですべてが決まってしまう。転生ものの流行は、そう感じる人が増えている証ではないだろうか?