「つらい」「もうやめたい」……。人生において、このような苦しい状況に立たされることがあります。それは、誰もが憧れるトップアスリートも同じです。華々しい活躍の陰では、数知れない難局に直面しています。そんなときに、彼らを支えたのは何のか? 多くのアスリートから話を聞くなかで、子どもの頃にご両親から問いかけられた「言葉」に秘密があることに気づきました。この記事では、元バレーボール五輪代表の栗原恵さんと、テニス界のレジェンド・伊達さんのエピソードを紹介しながら、「苦しい時期」を乗り越えるマインドセットについて考えます(この記事は、金沢景敏さんのご著書『超☆アスリート思考』を抜粋したものです)。

【子育ての極意】一流のスポーツ選手を育てた親が必ずした「たった一つの質問」写真はイメージです Photo: Adobe Stock

「どっちの後悔をとるか、あなたが決めなさい」

 多くのトップアスリートに共通する「原体験」があると僕は考えています。
 それは、「自己選択」するという体験です。人生のどこかのタイミングで、親御さんなどから「あなたはどうしたいの?」「あなたはどっちを選ぶの?」などと問いかけられ、自分の意思で「何か大切なこと」を選択するという経験をしているトップアスリートが多いのです。

 元バレーボール選手である栗原恵さんも、そのお一人です。
 栗原さんは高校1年生のときに日本代表入りして以来、アテネ五輪、北京五輪に出場するなどエースとして大活躍。大山加奈選手とともに「メグカナ」と呼ばれて、全国的な人気を博したことをご記憶の方も多いでしょう。

 広島県能美島で育った栗原さんが、バレーボールに出会ったのは物心つくかつかないかのころ。ご両親が参加していたバレーボール・チームの練習についていって、ボールで遊んだのが始まりだったそうです。

 大人たちの練習に混ぜてもらって、ほんの少しのことでも、「いまのよかったよ」「上手だね」などと褒めてもらうことでバレーボールが大好きになり、小学生時代までは伸び伸びと楽しみながら、バレーボール選手として順調に成長していったと言います。

 そんな栗原さんが中学2年のときに転機が訪れます。
 強豪校である兵庫県の中学校から「転校してこないか?」と声がかかったのです。

 ここで、栗原さんはすごく迷いました。バレーボール選手としてもっと成長したい気持ちと、親元を離れて自分よりもすごい選手たちのなかで厳しい練習をすることへの不安のせめぎ合い。どうしても結論が出せず、ついには泣き始めてしまった栗原さんに、お母様はこう問いかけました。

「やっても後悔するし、やらなくても後悔する。
 どっちの後悔をとるのか、あなたが決めなさい

 この言葉に背中を押された栗原さんは、強豪校への転校を決意するのです。

どんなにつらくても、「自分の選択」から逃げたくない

 しかし、この転校は想像以上に過酷な選択でした。
 小学校時代とは打って変わって、そこは非常に厳しい世界だったのです。
 ミスをしたら監督の顔色を窺ってしまったり、難しいボールが飛んできたらミスを恐れて萎縮してしまったり……バレーボールが全然楽しくなくなってしまったといいます。「どうして、自分にはこのプレイができないんだろう?」と自分を追い込む毎日。いつの間にか、笑顔を忘れていたほどだったそうです。

 きっと、何度も「もう、辞めたい」と思ったに違いありません。
 だけど、栗原さんがあきらめなかったのは、「自分が選択したこと」だったからだと言います。栗原さんは「厳しい環境であること」を承知のうえで、転校を選択。その「選択」から逃げたくなかったのです

 しかも、その選択を、ご両親をはじめ多くの方々が応援して、サポートしてくれている。だから、自分だけの問題ではない。「何かを掴むまでやり抜いて、それを地元に持ち帰らなきゃ」という一心で、頑張り抜いたのです。

 この頑張りはすぐに報われます。
 中学時代の実績が評価された栗原さんは、山口県の名門高校に進学し、1年生のときにインターハイ・国体・春高バレー優勝の「高校3冠」を経験。日本代表にも選抜されて、若いエースとして脚光を浴びる存在へと急成長するのです。

 この経験以来、栗原さんは常に「自己選択」を強く意識してきたそうです。
「やるのか、やらないのか?」の二択を自分に迫り、必ず、自分の意思で「選択」することを意識されてきたのです。

 たとえば、日本代表に選ばれた当時は、高校バレーのレベルとのギャップに押しつぶされそうになったそうですが、このときも「日本代表の一員としてやるの? やらないの?」と自問自答。「やる」ことを選択したうえで、通常の練習が終わったあとに、バレーボールの基礎を叩き込むための“自主練”を始めることにしました。

 通常の練習だけでも疲れ切っていますから、“自主練”から逃げたいときもありましたが、栗原さんは「やるのか、やらないのか?」と自分に二択を迫り、「やる」という選択をし続けました。だからこそ、栗原さんは、押しも押されもせぬ「日本のエース」へと成長されたのです。

「やるか、やらないか」を自分の責任で決める

 テニス界のレジェンド・伊達公子さんも同様です。
 伊達さんのご両親は放任主義。「人に感謝すること、迷惑をかけないこと、あいさつをすること」さえできていれば、何かを無理にやらされるようなことは一切なかったそうです。

 ただ、「いい加減なこと」をすることは許されませんでした。伊達さんは子どものころに出会ったテニスが大好きで、ずっと近所のテニスクラブに通っていたのですが、12歳のころ、引っ越しを機に家から通えるテニスクラブが、当時の実力よりもかなりレベルの高いクラブになってしまったことがあります。

 そして、そのレベルについていけないからと練習をさぼり始めた伊達さんに、見かねたお母様がこう問いかけたのだそうです。

「テニスを強制した覚えはない。やるかやらないかは自分で決めなさい」

 つまり、「やりたい」のであれば応援するけれど、「さぼる」のであればやらなくていい。「やるか、やらないか」を自分の責任で決めなさいということです。

 この一言によって、伊達さんは自分と向き合わさせられたと言います。
「何のためにテニスを続けているのか?」「テニスが好きだったからではないのか?」「つまらないプライドのせいで、テニスから逃げているだけじゃないのか?」……このように自問自答を重ねた末に、自分の意思で「テニスを続ける」「やれる環境にあるのなら、テニスを精一杯頑張る」ことを選択。それ以降、さぼることがなくなったそうです。

 そして、伊達さんも「やるのか、やらないのか?」の二択を自分に迫り、「やる」と決めたらとことんやり抜くスタイルを貫かれました。
 トレーニング・練習・日常生活のすべてにおいて自ら設計し、それを徹底的に守り抜くことでご自身のパフォーマンスをコントロールし続けましたし、引退するタイミングを決めるときも、メディアなど外部の声に惑わされることなく、ご自分の意思のもと決断されました。

「私は天邪鬼なところがあるから、人に言われるとやりたくなくなる」と伊達さんはいたずらっぽく笑いますが、その言葉の裏側には、「自分で決めたこと」を徹底する強い意思が存在しているのです。

「苦しい時期」をもちこたえるために、絶対的に必要なものとは?

 これは、栗原さんや伊達さんに限ったことではありません。
 トップアスリートはどなたも、どこかのタイミングで必ず、厳しい練習に立ち向かうことを「自己選択」されています。

 これは、当たり前のことだと思います。トップをめざすためにやるべき練習・トレーニングは半端なものではないですから、誰かに命じられてやり遂げることなど不可能だからです。自分の内側から「どんなことがあっても、やり抜いてみせる」という意思が湧き上がっている状態でなければ、あれほどの過酷なプロセスを完遂することはできないと思うのです。

 僕自身、この「自己選択」に救われました。
 僕は、プルデンシャル生命に入ってしばらくは、営業活動がうまくいかず苦しみました。精神的にもどん底で、プルデンシャル生命に転職したことを何度も後悔したほどでした。

 そんな僕をギリギリのところで支えてくれたのは、プルデンシャル生命への転職という「道」を選んだのは、ほかならぬ自分だという「事実」でした。あのころ僕は、何度もこんな自問自答を繰り返しました。

「なんでプルデンシャル生命に来たんや? 京大アメフト部時代に、本気で日本一を追いかけてなかった自分を取り戻したいんやろ? 日本一の営業会社で日本一になるんやろ? もう、カッコ悪い自分には戻りたくないんやろ? また、ここで投げ出すんか? それでええんか? そんなん絶対にイヤやろ?」

 こうした思考を繰り返すことで、僕はなんとか気持ちをもちこたえていたのですが、この「自問自答」が成立したのは、僕が、自らの意思で「プルデンシャル生命への転職」を選択したという事実があったからこそです。

 精神的にキツくて、仕事から逃げ出したくなったときに、なんとか気持ちをもちこたえるためには、その仕事を選んだのは「自分」だという事実が絶対的に必要になるのです。もしも、そこに「自己選択」ではなく、「他者からの強制」があったとしたら、そもそも「自問自答」が成立しないからです。

 これは僕の想像にすぎませんが、栗原さんや伊達さんをはじめとするトップアスリートも、競技人生のなかで苦しい時期を迎えたときには、先ほどの僕と似た「自問自答」をされたのではないでしょうか?
 僕は、自分が苦しい立場に追い込まれたときには、そんなアスリートの孤独な姿を思い浮かべながら、「俺も頑張ろう」と鼓舞するのです。

(この記事は、『超⭐︎アスリート思考』の一部を抜粋・編集したものです)

金沢景敏(かなざわ・あきとし)
AthReebo株式会社代表取締役、元プルデンシャル生命保険株式会社トップ営業マン
1979年大阪府出身。京都大学でアメリカンフットボール部で活躍し、卒業後はTBSに入社。世界陸上やオリンピック中継、格闘技中継などのディレクターを経験した後、編成としてスポーツを担当。しかし、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じ、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命に転職した。
プルデンシャル生命保険に転職後、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRTの6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な数字をつくった。2020年10月、AthReebo(アスリーボ)株式会社を起業。レジェンドアスリートと共に未来のアスリートを応援する社会貢献プロジェクト AthTAG(アスタッグ)を稼働。世界を目指すアスリートに活動応援費を届けるAthTAG GENKIDAMA AWARDも主催。2024年度は活動応援費総額1000万円を世界に挑むアスリートに届けている。著書に、『超★営業思考』『影響力の魔法』(ともにダイヤモンド社)がある。