ざっくり言うとFIREとは、「早いうちに稼いで貯めて、投資で食って、無職のまま生きていこう」という考え方だ。ファイナンスの分野では合理的ではあるけれど、「それって幸せなの?」と、僕は疑問でならない。

 FIREムーブメントの初期の頃から、変な思想が流行ってきたなぁ……と、呆れていた。貯めたお金を投資に回す行為は、決して悪くない。むしろ推奨されるべきだ。しかしFIREの条件って、やたらに高すぎるのではないか?

「僕の知り合いには誰もいない」
FIREは不満を抱えた若者の拠り所

 一説によると30代でセーフティにFIREをスタートさせるには、100万ドル以上のポートフォリオが目標とされる。安定的な4%の利回りを得るためには、精度の高い投資知識もなくてはいけないだろう。だいいち投資で得るお金を、食べていくための生活費と同類にしているのは、いただけない。

 投資とは、企業の資本を活性化させる社会貢献なのであり、サラリーマンの給料とは、根本的に質が異なる。何というか、FIREとは結局のところ、限られた富裕層の思考実験の域を出ていない気がするのだ。要は、お金持ちの空想遊びだ。

 何よりの疑問がある。FIREで「理想の人生だ!」「本物の幸せを手にした!」という人は、実際にいるのか?少なくとも僕は出会ったことがない。知り合いの若手資産家で、FIREを目指している人がいないのも現実だ。

 FIREが広まった根底の理由は、大多数の人が、つまらない仕事をしているからだ。仕事が楽しくない、働くのが辛い、働かないでもお金に困らない生活がしたい……などの不満が、リタイア志向につながっている。FIREは、宝くじの当選を願う貧乏根性と、変わらないのではないか。

 FIREが社会で注目されたのは、望まない仕事で窮している、つまり我慢信仰にとらわれている若者が、いかに多いかという事実の表れだ。嫌な仕事に耐えてお金を貯めて、いつか自由な、幸せな人生を手に入れたい。そう願っている若者の心の拠り所になっているのが、FIREムーブメントの正体だ。