世界の富裕層たちが日本を訪れる最大の目的になっている「美食」。彼らが次に向かうのは、大都市ではなく「地方」だ。いま、土地の文化と食材が融合した“ローカルガストロノミー”が、世界から熱視線を集めている。話題の書『日本人の9割は知らない 世界の富裕層は日本で何を食べているのか? ―ガストロノミーツーリズム最前線』(柏原光太郎著)から、抜粋・再編集し、日本におけるガストロノミーツーリズム最前線を解説。いま注目されているお店やエリアを紹介していきます。

【日本初】地方を世界の「食の聖地」に変えたレストラン、その原点とは?Photo: Adobe Stock

東京に出てきて「地元の食」のほうがウマいと気づく

 山形県の庄内地方、鶴岡市に「アル・ケッチァーノ」というイタリア料理店を構える奥田政行さんというオーナーシェフがいます。彼はもともと鶴岡の出身ですが、「何でも手に入る東京の方が素晴らしい」と思っていたそうです。そのため、彼は高校卒業と同時に東京へ上京しました。一流シェフになる夢を叶えるためです。

 ところが、いざ東京で料理の修業を始めると、彼はある事実に愕然としました。

「都会には、さぞや素晴らしい食材が集まっているのだろうと思っていたのに、庄内の野菜の方が美味しくて、他よりも値段も高い。自分は18歳まで、いかに美味しいものを食べていたのか。地元の食材のほうがいいじゃないか…」。
 そう感じた彼は、家庭の事情もあり、2000年に地元へUターンして、「アル・ケッチァーノ」を開店しました。

 鶴岡にイタリア料理店を開くにあたり、彼は「野菜をフィーチャーしよう」と決めました。庄内地方は日本有数の食材の宝庫として知られており、だだちゃ豆や温海(あつみ)かぶなど、ユニークな野菜がたくさん採れるからです。そして、他店と差別化するために、誰もやらないことをやろうと決意
 具体的には、アラカルトを100種類以上作ることにしました。

 アラカルトを100種類以上作るということは、その分、ロスも出ます。特に、始めた当初は、そもそもお客さんが来るのかさえわからない状態です。そんななかでこれだけの数を作るというのは、相当な覚悟がないとできません。

全国区の名店へとかけのぼる

 しかし、その試みは吉と出ました。「面白い店ができた」ということで、テレビや雑誌に取り上げられて、連日予約で満席。食材が足りなくなるほどの盛況になったのです。

 事件が起きたのは、そんなある日のことでした。

 奥田シェフは当時、「同じ料理は二度と出さない」と宣言していたのですが、あまりにもマスコミの取材が殺到して、とうとうレシピがなくなってしまい、自宅で飼っていたヤギをしめて、一品を作ったのです。

 しかも、それが美味しかったことで彼は自分のプライドのためにうちのヤギをしめて料理を作ってしまった。もう、俺は終わった‥‥‥」と思ったそうです。

 しかし、それがプロとしての覚悟を決めさせたことにもなったのでしょう。その後も仕事に邁進したところ、さらなる転機が訪れ、TBS系の番組『情熱大陸』に取り上げられました。

 これにより、アル・ケッチァーノは全国区の名店へかけのぼっていきました。

鶴岡市が日本初のユネスコ「食文化創造都市」に認定

 アル・ケッチァーノ、そして奥田シェフ自身が注目を集めるようになると、若い生産者やシェフが、鶴岡へ戻って来るという事態が発生するようになりました。すると、それに目をつけた行政が、「食でもっと盛り上げていこう」ということで、ユネスコの食文化創造都市認定を受けることを計画。

 そして見事、鶴岡市は日本で初めて認定されることに成功しました。その結果、世界中のフーディーの注目を集め、今や、世界中から富裕層が訪れるようになっているのです。

 アル・ケッチァーノを起点とするこのムーブメントは、一向に衰える気配がありません。むしろ、勢いは増しています。たとえば、奥田シェフに憧れて帰郷した若い人たちは、食にまつわるコミュニティを立ち上げているのですが、その仲間たちで、小麦粉の生産を始めています。

 というのは、鶴岡がある庄内地方はラーメンも有名にもかかわらず、ラーメンとイタリアンの共通点である小麦粉が、庄内では作られていませんでした。そこで、せっかくなら庄内の小麦粉を使ってイタリアンやラーメンを作ってもらおうということで、5年ほど前から生産されるようになったのです。

 アル・ケッチァーノが誕生した2000年当時は、まだ地産地消という言葉が一般的ではありませんでした。しかし今は、地元の食材を使い、地域を盛り上げてきた奥田シェフを中心にして、ローカルガストロノミー旋風が吹き荒れています。

 実際、店を開いた当初、奥田シェフはこんなことを考えていたそうです。「鶴岡の自給率は138%。こんなに豊かな地方はなく、ここに食べるために人が来てくれる時代が必ず来る」と。

 ちなみに、店名の「アル・ケッチァーノ」は、イタリア語ではありません。庄内弁で「(ここに全部)あるからね」という意味。

 この店名には、フランスやイタリアの野菜がすごいといわれているけれど、庄内にはこんなに素晴らしい野菜があるんだということを多くの人に知ってほしいという、奥田シェフの思いが込められているのです。

 ※本記事は、『日本人の9割は知らない 世界の富裕層は日本で何を食べているのか? ―ガストロノミーツーリズム最前線』(柏原光太郎著・ダイヤモンド社刊)より、抜粋・編集したものです。