私も「数え年の四二歳は『四二(死に)』に通じているから危ないよ」などと驚かされたことがあります。男性の数え年の四二歳は「死に」に、また女性の数え年の三三歳は「三三(散々)」に通ずることから「要注意の年齢」とされてきました。
確かにこれは「言葉遊び」のようにも聞こえます。しかし、だからといって、「厄年は迷信である」と簡単に片づけてしまうのも問題だと私は思います。なぜなら、このような語呂合わせは、これらの年齢が人生の重要な節目であることを一人でも多くの人に知ってもらいたいために用いられた手法だからです。
厄年とは、人生で重要な節目の年
つまり、この迷信は、男性の四二、女性の三三という年齢が「人生の重要な節目であることを知ってもらうこと」が目的なのです。ただ、これら「人生の重要な節目の年」である厄年には、科学的あるいは医学的な根拠はありません。厄年とは、科学的とか医学的なものではなく、私たちの先祖が悠久の歴史のなかで、日々の生活体験から見つけ出した「生活の知恵」なのです。
「人生の重要な節目の年」である厄年は、「生きる知恵」として先祖代々が伝えてきたものと言い換えることもできます。したがって、厄年の風習は、日本人の長い歴史と伝統にもとづくものであり、そういう意味ではまったくの迷信ではありません。しかも、理論的というよりも、体験や経験が土台になっていますから、これほど確かなものはないでしょう。
先ほど、厄年は「人生の重要な節目の年」であるといいましたが、実は「厄」という漢字には「木の節」という意味もあります。木の幹から枝が出るところを節と呼びますが、節は、木の成長を知るうえで重要なものです。
また、厄年は「役年」とも言い換えることができます。
このように述べると「また語呂合わせですか?」といわれそうですが、この場合の「役」は「神役」のことで、「神事を司ることのできる年齢」という意味になります。







