「厄年という呪縛」は
日本人に共通のものだろうか?
世界の中でも日本人は心配性な国民だといわれます。
しかし、若い頃の私は、そんなこととは無縁の男でした。目先では慎重なこともありましたが、先々には楽観的でした。自分には基本的に不運は訪れず、努力次第でいかようにも明るい未来は開ける、と感じていました。
ところが42歳、つまり男の厄年になると、何があったわけでもないのに厄除けのお参りに行く自分がいました。
特に本厄のお参りは、一種、行事的なところがあります。多くの人が行うことであり、取り立てて変わったことではありません。しかし私の場合はそれ以来、毎年その時期になると、厄除けで有名な寺にお参りをしなければ気が済まなくなってきたのです。
いつの間にか、自分は不安を意識する人間になっていました。厄除けに行かないと、何か悪いことが起こるのではないかと思うようになっていたのです。
なぜだろうかと考えました。「そういう年齢になったのだ」と、言ってしまえばそれまでかもしれません。齢も重ねてきて、守るべきものも増えてくる。個人差はありますが、徐々に体力の衰えも感じ始め、健康や経済面、あるいは自分の居場所など、将来の様々な不安にかられます。永遠だと思えた自分の人生に有限を実感します。
多くの人がそうなのだろうと思います。