日本でも1908年にビネーの1905年法が三宅鉱一によって紹介されています。

知能検査の普及によって
初めて境界知能が発見された

 知能検査による知的障害児の研究が飛躍的に広がる中で、心理学的なアプローチも進められていきました。

 それらの中でドイツを中心に展開された「ゲッシュタルト心理学」は人の精神を知能検査のように量的にではなく、要素として分析できない1つの体系としてとらえました。

 ヴォルフガント・ケラーは類人猿の研究から、思考は人のおかれた「洞察」によって起こるとし、クルト・レヴィンは、知的障害は総体のパーソナリティに関係するとしました。

 特に、レヴィンは知的障害児の「パーソナリティの硬さ(新しい事態への適応力の低さ)」を唱えましたが、他方で「硬さ」は知的障害者だけにみられるのではなく、人の防衛機制であるという説や「硬さ」には機能的、構造的なものがあるという説もあります。

 それ以降も知的障害に対して、外因性知的障害と内因性知的障害の立場から比較研究も行われていきましたが、最終的には、現在のように環境因も加味して両者が結びついたものと考えることが望ましいとされていきます。

 さて、知能検査から思わぬ展開が広がります。アメリカでは第一次世界大戦(1914~1918年)の陸軍知能検査をきっかけに知的検査が幅広く実施されるにつれて、知的障害児の出現率が算定されてきたのです。

 様々な調査の結果、当時の「ビネー検査」(フランスの心理学者ビネーとテオドール・シモンによって開発された知能検査)では、学童児童の2%が知的障害とするのが妥当とされました。

 一方で、知能検査の精度が上がるにつれ、知的障害とみなされないものの、平均的知能の下限を下回っている膨大な数の境界知能や軽度知的障害の存在も脚光を浴びるようになってきました。ここで初めて境界知能の存在が明らかにされ始めたのです。

知的障害をめぐる巧言が
差別や優生思想を生む

 このように社会に多くの知的障害者が存在することが明らかになってくるにつれて、様々な問題も生じてきます。