ゴダードによる「カリカック一族の研究」(注1)(1912年)に代表される遺伝性の研究、さらに知的障害の家系は出産率も高く、いずれは一般家系を脅かす存在になるという警告もなされ、知的障害者は、犯罪、貧困、堕落を生み出すといった多くの諸研究もなされます。
その結果、脅威としての知的障害者という巧言は1900年初頭から1930年代まで続き、断種のための優生手術、隔離のための施設増設といった優生思想につながっていきました。
その後、知能検査の普及によって明らかになってきた膨大な数にのぼる知的障害者の存在は、断種や隔離といった政策が現実的でなく、彼らに特別な教育(特殊教育)を行い、労働力として少しでも社会の役に立たせようと新たな制度や方法が築かれる方針に向かっていきます。
この頃から通常学校体系から知的障害児の学校・学級が分化していき、他方で労働力として見込めず、「教育不可能」とみなされた中等度・重度知的障害は公的教育から除外されました。
また、これら特殊学校・学級には、社会的負担とならないよう社会的・経済的不利が原因で学習困難が生じている児童たちも含まれていました。ここには現在でいう境界知能児も相当数含まれていたと想定されます。
教育学者の荒川智によると、当時、特殊学校に相当するドイツ・ベルリンの補助学校には境界知能児が約4割いたと記録されています。
ところが、1920年代から台頭し始めたファシズムと戦争はそれらに大きな打撃を与えることになります。反ファシズムの国々でも同様で多くの特殊学校が軍用に転用されました。
つまり、障害をもっていても戦争に役立てるかたちで育成しようとしたり、心理実験の対象となったりすることもありました。こうした膨大な犠牲を払いつつも知的障害教育が新生し始めたのは、第二次世界大戦が終結し、法の整備がなされてからです。
(注1)「カリカック一族の研究」:知的障害者の遺伝についての研究で、知的障害者への偏見を生んだ。その後、この研究は、資料に故意の修正がみつかり、また貧困などの環境因が考慮されていないとして疑問視されている。







