もっと大きな子どもの場合でも、自分の将来の進路を決めようとすると、親が反対することがあります。子どもが、自分はこんなふうに生きたいと言い出した時に、親が猛反対する。親が自分の人生を子どもに託してしまう。そういうストーリーの韓国ドラマがよくあります。
でも、どんな人生を生きるかということは子どもの課題であって、親の課題ではありません。およそあらゆる対人関係のトラブルは、人の課題に土足で踏み込むこと、あるいは踏み込まれることから起こります。
子どもを信頼するという
未知の怖さに飛び込もう
基本的な話ですが、子どもを信頼しないといけません。けれども、親は子どもが自分の課題を自分で解決できると信じられないのです。
子どもが明日から勉強するといった時、とてもその言葉を信頼することができない。私が口やかましく勉強しなさいといわなければ、この子は勉強しないだろうと思っている。親が子どもを信頼できていないということです。
「信頼するためには、未知なるものに飛び込まなければなりません」(『信頼』)
アルフォンソ・リンギスという人の言葉です。
子どもが明日から勉強するといった時に、明日一体何が起きるのかは未知なことです。
子どもを信頼するためには、未知なるものに飛び込まないといけないのです。全てが明々白々で何もかもわかっている、つまり、子どもが明日から勉強するといった時に、そのことが確実にわかっていたら信頼する必要はありません。わからないからこそ信じないといけないのです。
これから起こることについて未知なることがある時、その知られていないことを主観的に補う必要があります。
必ず起きると決まっているわけではないので、明日に向けて線を引くなら、実線ではなく、波線で引かなければなりません。その未知なることが確実に起こると思うことが信頼であるという意味です。
子どもの「わかった」を
無条件に信じてみた結果
私の子どもが、食事の時になかなか食卓につかないということがありました。







