私は一緒に食卓について、皆で楽しい時間を過ごしたいと思っていたのですが、当時小学生だった子どもはゲームにハマってしまって心が食事に向きませんでした。
私と妻にとってそれは大きな問題ではありませんでしたが、その日は一緒に食事をしてほしいと思った時があります。当時横浜に住んでいた私の父が、京都にある私の家に帰ってきた時です。
父は子どもの教育に口を挟んでくることがよくありました。それは私たちの課題だといいたかったのですが、父が理解してくれるとは思わないので黙っていました。
すると、父はいろいろなことに口を挟んでくるようになりました。そのため、父が食卓についていない子どもの姿を見ると、子どものしつけをどう考えているんだというと思いました。それは困るので、息子におじいちゃんがくるのは3日間、たった3日間なので、その間は協力してくれないだろうか?そんなふうにお願いしました。
これはお願いなので、子どもには拒否する権利があります。お願いしたからといって必ず聞いてくれるかわからないということです。親はとにかく子どもを信頼するしかないので、子どもはわかったといってくれましたが、実際に父がきた時に食卓についてくれるという保証は全くありませんでした。
しかし、先に述べたように信頼するということは未知なるものに飛び込むことなので、わかったという子どもにそれ以上何もいうことはできませんでした。
実際父がきた時に何が起こったかというと、息子はいつもそうしているかのように食卓について食事をしてくれました。だから私の父は、孫が食事の時に食卓につかないことがあることを知らないまま、気持ちよく帰っていきました。
あえて念押ししない勇気が
信頼関係を育てていく
半年後、父はまた帰ってきました。ここで考えてほしいのですが、半年後また父がくることになった時に、あの話をしたからきっと覚えていると思うけれど、「またおじいちゃんがくるから今度も食卓についてくれるかな」というかいわないか。







